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対価と栄養

※画像と本文は、さほど関連性はないかも。

あっという間に1月が終わってしまい、久しぶりのnoteです。

今さらですが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

1月前半は、久しぶりに大風邪を引いて寝込んでいまして、後半は仕事が一気に加速し、気づけば2月。

今日も、スマホと格闘か、チャクラストーン触るか、調べ物するか、ギベオンペンジュラム使うか、師匠と打ち合わせか。

入り込むと、寝食を忘れるタイプなので、いかんいかんと雑炊を作って、なぜかどんぶり2杯食べるとか。

バグってますね。ヤバし。

仕事から離れていた時期もあるんですけど、私って、つくづく仕事が好きなんだなと。

仕事をしていない時も、子どもの学校の役員で「長」がつくものをトータル3年。

手を挙げる人がいなくて、その場の空気感に耐えられず、引き受けたものばかりですが😅

全体を見ながら、組織運営をしていく感覚が好きなのかもしれません。

末っ子を出産した後から、チームリーダーとか、委員長とか、引き受けることが多くなり。

振り返ってみれば、OL時代も2年目にして先輩社員がいなくなったので、後輩に教えつつ、上司と繋ぎつつ、他部署とコミュニケーションを取りつつ、なんてことをしてましたね。

その頃からだったのか。びっくり。

OL時代は、給料をいただいていたからいいようなものの、私ってどこか、人の感謝というか、喜ぶ姿を栄養にしているところがありまして。

ただ、感謝してほしいからとか、喜んでほしいから、という理由でやっているわけではないんですよ。

この微妙なニュアンスの違い、わかっていただけますでしょうか。

例えば、私は自分のことが好きですが、怠けてても、さぼってても、キレてても、それは変わりません。

仕事でヒーリングもしていますが、誰かを癒したいという強い気持ちもないんです。

じゃあ、なぜやってるのかというと、なんでだろ。やりたいから?

私がやっている仕事に大義名分ってないんです。だから聞かれても困っちゃう。

昔、ぶっちゃけ「愛」だけで事務方の仕事をしていたことがありまして、今、考えたら、あり得ない報酬だったんですけども。

友人と私のふたりして、10年くらい「愛」だけを栄養に働いてきたんですね。

ただ、だんだん方向性が食い違ってきて、私も冷静になり、見合う対価をいただくか、対価に見合う拘束時間にしてほしいと進言したところ、あっさりやめてと言われました。

あれほど「愛」を語っていたのに、結局は安く働かせたかっただけなのか。

愛が冷めた時の虚無感たるや。

それ以降、対価面は結構意識するようになったものの、やっぱり気持ちが嬉しくてつい、というのは、しょっちゅうあります。

もう性分と言いますか、昔人間なので、恩返しだったり、良くしてくれる人には、もっと良くしたいって思っちゃうんですよね。

ただ、自分が思ってるほど体力もなければ、知力使い過ぎて知恵熱出すタイプ。

脳が煮えてる感じとか、心底疲れてるとかあるので、ほんと気をつけないとなって思ってます。

結局、何が言いたかったのか。
まとまりがつかなくなりましたが、今年初noteということで、お許しいただけると嬉しいです。






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