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素材と作家の関係性 作品「土に還る」から

先日、陶芸家の鯉江良二さんが亡くなられました。陶芸界の巨匠で、ご本人はとても懐の深い方です。大学生の頃、友人がファンレターを送ったのをきっかけに、工房へ数人で遊びに行かせていただく機会がありました。窯出しなどを見学させていただき、食卓を囲んだ時間が印象的です。

緊張のあまり、たくさんはおしゃべりできなかったのですが、工房や周りの自然から鯉江さんの考えが聞こえてくるようでした。会ったこともない後進を、手紙一つでそばに招き入れてくださる温かさ。尊敬の念を抱いております。心からご冥福をお祈りいたします。


亡くなられたニュースをきっかけに、鯉江さんの作品を振り返っていました。その中の一つ、作品「土に還る」で思い出したことがあります。

鯉江さんがどのような経緯で作陶されたのか、直接伺ったことはないので、詳しくは書きませんが、私も大学生の頃、「土に還る」をテーマに制作をしていました。大学の後輩も同じテーマで作陶していたので、陶芸に携わる者にとって、向き合うべき課題なのかもしれません。

一般的に、陶芸に使う土は陶芸用品店で購入します。滑らかに練り上げられた土を使うのですが、元は山などから採掘されます。

採掘された土には虫や獣、植物が何年もかけて姿を変えた歴史が詰まっています。土を通して生と死に触れるうちに「いつか、自分も土に還るのだ」という漠然とした死の受け入れを感じていました(日本では骨をひろって骨壺に入れるのが一般的なので、実際には土に還れませんね)。


そんな風に私の価値観を変えた陶芸ですが、いまは編集者・ライター職に明け暮れて、まったく触れる機会がありません。陶芸から離れようと思ったきっかけはいくつかありますが、その中の一つは私の「力不足」でした。

失敗作の陶器は産業廃棄物として処理されるのをご存じですか? 大学では展覧会が終了した陶器作品などを定期的に回収していました。

よくアート作品には、「作品に命を宿す」という言葉が使われますが、私はどうにも、自分の作品にそのような思いを抱くことはできませんでした。大げさに言えば、無限の命が積み重なってできた土を必要のない形にねじ伏せ、死なせてしまっているような感覚があったのです。

産業廃棄物にするのが嫌なら、作品をギャラリーに売り込んだり、廃棄予定の陶器を使って作品を制作したりするべきだったのでしょうが、その考えに至らなかったところが凡人だなぁと思います。


私は陶芸と土から得る考えがたくさんありましたが、彫刻家や洋画家、日本画家はどうなのでしょうね。素材である石や木、油絵具、岩絵の具や膠(にかわ)から、感じるものがあるのでしょうか。聞いてみたいものです。

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