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あいたい人にあうために


——過去や未来に1度だけ行けるなら、私は誰にあいに行きたいか。


インスタントコーヒーを淹れながらそんなことを考える。
2017年に本屋大賞を受賞した「コーヒーが冷めないうちに」を読み、
簡単に影響を受けた私はこうして note を書いている訳だ。

ちなみに、マグカップの保温時間はおよそ25分程度らしい。

さて過去に戻れる喫茶店を訪れた4人の女性たちの話が
描かれているが、どうも私にはピンとこない話ばかりだった。

もちろん情景をイメージし鼻の奥がツンとするような感覚はあった。
しかし、読み終えてみると “ 感動 ” とは程遠いような感情が残り悶々とする。


    ◇◆◇


ふと、今まで生きてきた20年間を振り返ってみた。
楽なことばかりでなく、苦しくて何度も泣いた記憶が鮮明に蘇る。
傷ついた出来事は一瞬であれど色濃く鮮明に残ると知った。

しかし過去に戻って誰かにあいたいと本気で願ったことはなかった。
たまに冗談で「過去に戻って〇〇にあいたい」と言ったが、
それは空気と空気の接続という役割を果たす、社交辞令的なものだった。

つまりは現状に概ね満足しているという訳だ。

それはそれで勿論良いことだと思う。
けれど “ 過去に戻ってもあいたい人 ” がいるのは羨ましいと思った。

誰かに対してそれ程強い感情を抱けた記憶がないのは
きっと誰も失いたくないあまり
干渉し過ぎないようにしているからなのかもしれない。

自分を大切にできない人間が誰かを大切に出来る訳がない。
そう思い続けているからなのかもしれない。

だからこそ喫茶店に訪れる女性たちに悶々とした理由は、
自分の軸をきちんと持ち、
自分と同じように他人も大切にしていたから、なのかもしれない。

そう考えると、本当に大切にしたい人を大切に出来るように
自分と向き合い自分を大切にすることが今はずっと重要なのだろう。


   ◇◆◇


ふと「会う」と「逢う」の違いが気になり調べた。
会うは人と人とがある場所で一緒になること、
逢うは親しい人に強い気持ちを持って巡り会うこと、らしい。

——私は過去に戻っても逢いたい人とこれから出会いたい。



気がついたらコーヒーは完全に冷めきっていた。
過去にばかり目を向けていたら現実に戻って来られない。
喫茶店にはそんな想いが込められていたのだろうか。


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