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意味があると思っている人がいる、というだけでも。

 こんにちは、ゆきちかです。児童養護施設で心理職、家では父&夫をしています。“児童養護施設"の検索結果をよりグラデーション豊かにするnote作りをしています。今日もどうぞお付き合いください。

漢字の書き順を守ることは優先順位の何番目?

 日頃から、複数の子どもが同時に学校の宿題に取り組む勉強時間にお手伝いで入っているのですが、漢字の書き順を守ることがどのくらい大切なことなのかを見失っています。時間と人手と子どもの集中力に余裕があるならば、より物知りと言い張れる情報に手を伸ばしたくなるわけですが、漢字検定を取るか、クイズ番組の画面に向かって答えるか、その2つぐらいしか必要なシチュエーションが想像できません。読めて、相手に伝えられる記号を書き表すことができればもう十分で、別のことに時間を使わせてくれ!というのが私の本心です。書き順を覚えるより、私と書き順の存在意義について語り合った方が楽しくない?という感じ。

 唯一、習字や書写において美しい字を書くという時にのみ、正しい書き順がわかるといいよなあ、と思います。行書や草書のような、流れの美しさを表現する時に、書き順は生きていると思います。

 あとは何でしょう…、“大して意味はないけれど、権限を持つ相手に言われたことを実行する能力を鍛える”とか“他の人と同じことをする同調能力を鍛える”という意味が残っているかもしれません。これに関しては、
「よーし!家政婦の美田園さんでやってた、ストッキングと洗濯機でシュレッダーになるライフハック!漢字練習帳で試してみようぜ!?」
 と、言いたいのが本音です。
 その昔、多種多様な漢字のパーツを組み合わせて、最強の漢字を作る、という遊びを子どもとやったことがあるのですが、それはもう強そうな漢字ができて楽しかった思い出があります。よほど漢字の勉強になったのではないかと思います。せめて、なぞっても、なぞらなくてもいい自由が欲しいです。

それでも漢字の書き順に意味を感じられる人

 漢字の書き順は、読み取ることと、漢字を使って誰かにメッセージを伝えることに比べると必要性が低い情報です。もしかしたら、何となく形が伝わって情報の伝達さえ機能すれば、形の正確さすらあまり重要ではありません。(よほど大人の方がアレンジが効きすぎて読めない人っていますよね)

 それでも「意味を感じられる人がいる」。自分にとって意味のないことが、別の誰かにとっては重要な意味を持つことがある…という点を知っていること。自分の知らない面白世界の入り口に立つために、書き順の勉強は形として残っていて良いと思います。

 「何で書き順を守らないといけないの?」ときちんと疑問に感じてもらい、「つべこべ言わずに早くやって終わらせろ」ではなくて、別の面白世界(書道とか、漢字博士道とか)の入り口の存在を知らせてあげること。もうちょっと深掘りすれば、そういった入り口を置ける“余白”が生活環境の中に用意できることが大切なんだろうな、と思います。

 何だか別の話にも繋がりそうな、そうでもないような話になりました。すっかり眠くなったので、今日はこの辺で。ありがとうございました。

 ゆきちかさん

自分の好きな施設に訪問して回りたいと思います! もしサポートがあれば移動費と施設へのお土産代に費やします!