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比較されてしまった!

「女の子はみんなかわいい」

よく聞く言葉だね。
全くその通りのの言葉である。
女の子は誰しも愛らしい一面があり(無いとは言わせない)、笑顔が素敵で、美しい。恥じらいまでもが心をくすぐる。
紛れもない事実であり、完全に同意だ。

ただ、
「あの子はもっとかわいい」
そう聞いたことはないだろうか?

「あの子ってクラスで1番可愛いよね」

「学年の美女の5本の指に入る」

「俺、あいつよりあの子の方がタイプ」

これは実際私が聞いてきた発言である。
また私も何気なく使っていたものでもある。
さらには、
「あいつはブスだ」
という言葉も割と度々聞く。いやまあ、こんなにダイレクトには皆言わないが、要約すると言ってるやん、みたいな時がめちゃくちゃある。

そうすると、「女の子はみんなかわいい」のに「あいつはブスだ」という矛盾が見えてくる。
あれれぇ、おかしいぞぉ?


悪気もなく、皆だけでなく私も思ってしまうこの現象はなんだ?例外的な女の子もいるのか?
ともあれ、そう思われてしまった子とて、実際はめちゃくちゃかわいい。
何言ってんだ?こいつ。
と思うだろう、いやだがしかしその子は目はぱっちりしていて鼻筋もスッと伸びている。性格も無邪気だし、ニカッと笑った表情がとびきり可愛い。だがしかしブスだ。

この矛盾にずっと悩み続けていたが、ある仮説が不意に生じた。

女の子は絶対的にかわいいが、相対的にはブスになる。

女の子としてその子は紛れもなくかわいい。
しかし、特定の子と比べてしまった時、比較されたその子はより劣ってしまった。

私がブスだと思ったきっかけ

それは思春期の初っ端の小学6年生、
些細な男女関係でSちゃんにこっぴどく嫌われたことからだった。
私は4人グループの一員に属しており、クラスで目立ちもしないいわゆるインキャだった、がそのSちゃんは私を憎みそのグループの3人を私から奪った。
元々その子らは別のクラスになってしまっていたため、接触できる機会が授業間と昼の休み時間だけだった。Sちゃんは私がその子らと接触する前に、強引にその子達と遊びに行くかお喋りをし、私が介入する隙を与えなかった。
結果、私はその所謂いじめが始まってから半年は独りになってしまった。
何よりも傷ついたのが、私と仲良くしてくれていた3人(今でも普通に仲良く、なんなら明後日遊ぶ)はそのSちゃんを拒みもせず、受け入れてしまったことだった。Sちゃんを受容することで私を拒むことになるということは多分わかっていなかったのだろうが、その選択により私は選ばれない女の子になってしまった。
選ばれなかった、そのことが何より悲しかった。

その他にも中学1年生の頃、
女子校であったが、しきりにかわいいかわいいとほぼ毎日言われる子がクラスに数人いた。
私は言われなかった。
言葉のないまま比較されてしまっていた。かわいいと言われないことで、暗にかわいくないと言われているように思えてしまって。

こういったことが度々私の人生には起こり(中3の時にも2ヶ月部内でハブかれ、高3で彼氏は大学生活に浮かれて私との連絡を途絶えた)、比べられる人生の中で、幸いにも私はブスとは明言されることはほぼなかったが、負けてしまうイベントが多々発生した。
そうなると最早自明、「私はブスである」と思わざるを得なくなってしまった。
敗北の場面は些細なことでも、顔面だけでなくユーモアだったり性格だったり、変えようがない声色までにそれが起こった。
その積み重ねが私という人生を形成してきてしまった。

こんな社会はよくない、変えるべきだ。

なんてゴミカス感想文でまとめるつもりは毛頭ない。というか変えられない、私の力では。
ましてや国を上げても多分無理。武力で統制しても根幹はきっと変わらない。

どうしようもない。
ならば、受け入れるしかない。生きる限り比較される。そういう社会、そういう人生。
傷付いてしまうなら、負けの機会を減らせばいい。
私がペンを取り、比較的良い大学に入ったのも、コスメを取り、比較的良い顔面に日々修正するのも、金を上げ、微力ながら脂肪を溶解したのも、その理論なのかもしれない。

絶対的な「女の子はかわいい」中でも相対的に「ブス」と言われるならば、最早「女の子はかわいい」なんて(笑)
綺麗事甚だしい。

そうやって絶対的な「かわいい」に満足できず、相対的な「かわいい」を目指して日々もがき苦しむのだろう、私は。

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