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DEATH STRANDINGレビュー 帰ってきた「A HIDEO KOJIMA GAME」

私と小島秀夫作品との出会いは、多くの人がそうであるように、ファミコンでリリースされた「メタルギア」が最初だった。


今でこそメタルギアシリーズは世界に名を轟かせる巨大IPに成長したが、その出発はMSX2でリリースされた作品で、お世辞にもメジャーであるとは言えなかった。

生みの親である小島秀夫は、コナミ入社当初はファミコン開発室への配属を希望していたが、実際に配属されたのはMSX開発室であった。そこで「魂斗羅」のようなゲームをオーダーされたのだが、残念ながらMSX2のスペックでは画面上に沢山のオブジェクトを表示して動かすことが叶わず、ならば逆に敵になるべく見つからないように戦闘を避けて進むゲームにする事を思いつき、無線で指示を受けながら敵地に潜入するというメタルギアシリーズのフォーマットが出来上がった。いわゆる「ステルスゲーム」のようなものはこれ以前にも存在はしていたが、現在にも連なるゲーム性を確立したのはメタルギアである事は誰もが認めるところだろう。ギネスブックにもそういった内容で登録されている。

そして、このMSX2版が好評だったため、その5ヶ月後にファミコンで発売されることになった。だが、ファミコン版に小島秀夫は関わっておらず、肝心のゲーム内容も数々の改変がなされており、タイトルに冠されている核搭載歩行戦車メタルギアが登場しないという、小島秀夫本人の口からも「クソゲーでしたね」という言葉が出てしまう残念な出来栄えであった。私も子供の頃友達に貸してもらって遊んだのだが、正直理不尽なゲーム性とバランスの悪さからクリアする事はできなかった。ファミコン版で追加されたジャングルステージを抜ければ少しはマシになるのだが、自分で買ったゲームでもなかったし、なにより面白さがわからなかったのですぐ返してしまったのだ。

だが、このファミコン版メタルギアが海外でミリオンセラーの大ヒットを飛ばした為、小島秀夫の手を介さずに「Snake's Revenge」という続編がリリースされた。この続編は粗が多く難易度も高いものの、ゲームとしてはファミコン版の初代を遥かに上回る出来で好評を博した。それもそのはず、実はこのSnake's Revengeを作ったのは悪魔城ドラキュラのスタッフなのだ。そして、このSnake's Revengeの評判を小島秀夫本人が聞きつけ、それに奮起してコナミ最後のMSX2作品「メタリギア2 ソリッドスネーク」のシナリオを一晩で書き上げたという逸話も残っている。

それから随分と時は流れ、ファミコン、スーパーファミコンを経てプレイステーション(以下PS)の時代がやってきた。この頃のゲーム業界はクリエイターが表舞台に出るのが当たり前になってきていて、沢山のゲームクリエイターがゲーム雑誌に登場していた。その中に小島秀夫もいた。

私は彼が「メタルギアを作った男」だということは知ってはいたが、残念ながらファミコン版の印象しかなく、しかもその裏話など知る由もなかったので、はじめは紙面で見かけてもそれほど興味を抱かなかった。だが、彼がメタルギアの後に作った「スナッチャー」や「ポリスノーツ」の評判を聞くにつれ次第に興味が湧いてきて、ちょうどPSを買おうと思っていた時期だった事もあり、その時すでにPSでリリースされていたポリスノーツを買い、そこから小島作品にどっぷりと浸かることとなったのだ。

その後、「メタルギアソリッドシリーズ」「ZONE OF THE ENDERSシリーズ」等の小島作品をプレイし続け、私はすっかり小島秀夫という男の作り出す世界の虜になっていった。だから、「メタルギアソリッドV ファントムペイン」を巡る小島プロダクション解散からの彼の退社騒動はとても悲しい思いで見守っていたし、2016年のE3で彼が歓声とともに壇上に迎えられ、ノーマン・リーダスが登場する「DEATH STRANDING」のトレーラーを初めて見た時は冗談抜きで泣きそうになった。そして、新生コジマプロダクションの発足からわずか4年でリリースされた「DEATH STRANDING」のオープニングムービーで「A HIDEO KOJIMA GAME」の文字を見た時もまた泣きそうになっていた。最近体調が悪くて2019年は年間で60時間ほどしかPS4のゲームをプレイしていなかった私ではあるが、「DEATH STRANDING」は実に100時間以上プレイし続けている。プラチナトロフィーを取るには至っていないが、ほぼゲームの全貌を把握できる程度にはプレイしたつもりだ。


「DEATH STRANDING」は、誰もが予想し得なかったゲームだ。ゲームの舞台は「デス・ストランディング」という現象が起きて、カイラル雲というものが発生して世界から孤立した北米大陸。そこでプレイヤーは「伝説の配達人」サム・“ポーター”・ブリッジズとなり、ネットワークが寸断されたアメリカ各地を「カイラル通信」という手段で接続し直す依頼を受け奔走することとなる。

情報が公開され始めた当初は、謎の多いトレーラーとプレイ画面で「果たしてこのゲームはどういう内容なのだろうか?」と思っていたが、実際のところ「お使いゲーム」であった。そう、いわゆる「つまらないゲームの代名詞」として使われる「お使い」が、このゲームの目的なのである。

プレイヤーが操作するサムは、通常の状態だとちょっとの段差ですぐバランスを崩す。なので、コントローラーのL2とR2トリガーを使って踏ん張ってバランスを取ってやらなければならない。さらに、依頼(クエスト)で配達する荷物および殆ど全てのアイテムには重量が設定されており、サムが一度に運べる物の数も決まっている。荷物の総重量が増えれば動きにくくなり、さらに荷物を背中に高く積みすぎると重心が高くなり、よりバランスを崩しやすくなる。何でもかんでも依頼を受けまくればいいというわけではなく、一度に持てる量と目的地までの距離、更には道の凹凸などをあらかじめマップで確認して、最適な方法で運ぶことを要求されるのだ。中には、配達までの時間が設定されているお急ぎ便のようなものや、クール便などの特殊な配達も存在する。冗談抜きでヤマト運輸の社員になった気分である。

だが、これがやってみると面白い。私たち人間は自らの足で歩く時に、ほとんど無意識に目や歩いたときの感覚で道路や地面の情報を収集し、勝手に体が重心を調節してバランスを取っている。これをゲームのコントローラーで能動的に行うように落とし込んだのが「DEATH STRANDING」の操作系なのだ。そして、はじめのうちはオドラデクと呼ばれるレーダーを使って地形の凹凸を確認しながらおっかなびっくり進んでいたのに、慣れてくるといつの間にか危険な場所がわかるようになり、オドラデクを使わずに猛ダッシュで配達できるようになっている自分に気がつく。そう、「サムになってアメリカを歩く」ことに適応しているのだ。

多くのオープンワールド系のゲームの主人公が超人であるのとは対象的に、サムはわりと普通の人間である。一応経験値のようなものは存在するが、あれはどちらかというと熟練度のようなもので、たとえばスキルツリーのようなものがあったりはしない。劇的な成長はしてくれないので、プレイヤーはサムの装備(パワードスーツのような「アクティブスケルトン」と呼ばれる補助運動装置がある)を工夫したりする事で悪路などに対抗していくのだ。

とはいえ、たとえば川の中などを渡る時は動きが極端に遅くなり、スタミナも目に見えて減っていく。さらにスタミナの他に「忍耐ゲージ」というものが存在して、これのゲージがなくなると踏ん張ることができなくなり川に流されてしまう。当然荷物も一緒に流されてしまうので、急いで起き上がって回収しなければ依頼を達成できない。更に問題なのは、サムがバランスを崩して転倒してしまうと荷物にダメージが入り劣化していくのだ。この劣化は依頼の達成率に関係してくるため、何度も転倒するわけにはいかない。プレイヤーは自然と「安全なルート開拓」を主眼に入れてゲームを進めていくようになる。その為の補助アイテムとして初期から「ロープ」や「梯子」が用意されてるのだが、シナリオが進行するにつれてポストや橋などの建造物を建てることが出来るようになり、さらには素材をたくさん集めることにより国道を復旧させることすら出来る。

サムが作った建造物は、世界中の他のプレイヤーの世界と非同期型のマルチプレイで繋がっている。新しい土地へ行ってカイラル通信を接続すると、他のプレイヤーの建てた橋などが現れるのだ。それだけでなく、はじめはどこを見ても荒れ地ばかりだった北米大陸が、数多くのプレイヤーによって踏み慣らされ、やがてそこがあぜ道となっていく。さらに、ゲーム内にはゲーム世界の住人のみならず、他のプレイヤーの「落とし物」が落ちていることがあり、各地の自分や誰かが建てたポストや各施設に納品することでゲーム内住人や他プレイヤーに返却することが出来るのだ。その際に得られる報酬は、彼らからの「いいね」である。これをソーシャル・ストランド・システムと呼ぶ。

ソーシャル・ストランド・システムは、いってみればフロム・ソフトウェアの「ダークソウル」と似たようなものだが、「DEATH STRANDING」はそこにより明確に焦点を当てている。誰かが作った建造物を利用すると自動的に建造主にいいねが贈られる。プレイヤーが自分のために建てた建造物が知らない間に他の人に役に立っていて、勝手にいいねを貰っている構図が出来上がっているのだ。能動的にいいねをつける事も出来るため、便利な場所に建っている建造物には何十万といういいねがついている。これが結構承認欲求を満たす形になっていて気持ちいい。気がつくとモリモリいいねが貯まっている構図はなかなかに壮観なものだ。

一応ジャンルがTPSといえる括りであるため、戦闘も存在する。配達しているうちに配達することそのものが目的化してしまった「配達依存症」に侵されている「ミュール」、そしてサムたちの組織「ブリッジズ」がアメリカをもう一度カイラル通信によって繋げようとする事をよしとしない分離過激派のテロリスト、さらには人ならざるもの「BT」などと戦ったり、時には彼らとの戦いを避けるためにプレイヤーは奮闘することになる。

このゲームの戦闘は、基本的に人間相手の場合殺傷することを目的としない。殺すことも可能だが、その場合遺体を一定時間内に焼却場に運んで火葬しないでいると「ネクローシス」という現象を引き起こし、最悪の場合ゲームオーバーになってしまう。相手がBTの場合はサムの血液を使用した武器や、「カイラルコーティング」された弾丸を使えば倒すことが可能だが、万が一サムがBTに取り込まれてしまった場合は「ヴォイドアウト(対消滅)」と呼ばれる現象が起こり、ゲームは継続できるものの、戦闘地域一帯はマップで見てもはっきりわかるほどの巨大なクレーターとなり通行に支障をきたすことになる。どちらにせよ「死」に対するペナルティが他のゲームとは違う形で大きいため、なるべく人間を殺さず、サムを死なせないようにしてゲームを進めていく必要がある。が、全体的に難易度は高くはない。わたしの場合はクリアまでクレーターを作ってしまったのは2度ほどなので、上手い人なら一度も死ぬことなくプレイできるだろう。

サムは常に胸にBBと呼ばれる胎児が入ったポッドを装着しており、このBBが一種のレーダーの役割をしている。地形のスキャンにオドラデクというレーダーを使うと書いたが、BTの探知にはこのBBが必要になる。BBを装着した状態でBTのいる「座礁地帯」に接近するとオドラデクがオレンジ色に発光し勢いよく回りだす。そして、BTがいる方向をおしえてくれる。だが、サムが攻撃を受けたりするとBBの機嫌が悪くなりストレスゲージが減っていく。このゲージがなくなり真っ赤になってしまうと「自家中毒」状態になりBBはプライベートルームに戻ったりしない限り使用不能となる。多少のダメージや段差から落ちた時に機嫌が悪くなった程度であれば、ポッドを外してコントローラーを上下に揺することによってBBをあやすことができ、機嫌が良くなればBBは笑い出してストレスゲージも回復するが、戦闘時はなかなかそんな時間はないので、ダメージをなるべく受けないように戦うのが望ましい。このBBをあやすという光景はなかなかシュールなもので笑えるのだが、共に過ごす時間が長くなってくると情が湧いてきて、次第にBBが愛おしくなってくる。ゲーム内では「ただの装備だ」と言われるのだが、人間なかなかそんな簡単に割り切ることは出来ないのだなと実感するし、このあたり上手にシナリオも作られている。

ちなみに、サムは死んでもこの世に戻ってこられる「帰還者」という特別な人間なのだが、それはゲームオーバーになってもやり直せるというゲーム内の都合だけでなく、シナリオ的にもちゃんと説明がなされている。さらに、ゲームの設定上サムの体液がBTに対して有効なので、プライベートルームでシャワーを浴びたり、トイレで排泄したりする事にも意味がある。飲み物を飲むと膀胱に水分が溜まっていき、パンパンになるとサムがしきりに「トイレに行きたい」「オシッコしたい」とせがみだすので、どうしてもプライベートルームに帰れない時はその辺で立ちションをする事になるのだが、そうするとそこにキノコが生える。他のプレイヤーのキノコもゲーム内で表示されるので、みんなで協力してそのキノコにオシッコをかけてあげるとキノコが大きく育って、やがてそこにクリプトビオシスという虫が湧く。クリプトビオシスには増血作用があり、戦闘時にサムが出血した際に食べるとHPである血液量が回復する効果があるので、立ちションするのも悪くはない。ギャグみたいなシステムだが、こういう馬鹿馬鹿しさは小島作品にはお馴染みのもので、本人曰く「関西人なのでどうしてもギャグをいれたくなる」と語っていた。さすが「メタルギアソリッド」でサイコマンティスに「念力だ」とかいってコントローラーブルブルさせたり、「透視だ」とかいってメモリーカードの中身を読み取らせてみたり、画面を真っ暗にして右上に「ヒデオ」と表示させただけのことはある。

このゲームは基本的に殆どのアイテムが消費型だ。耐久度が設定されており、長期間使い続ければ壊れるようになっている。靴はすり減り、車は錆び、道路ですらも壊れていく。ゲーム内ではときおり雨や雪が降るのだが、これは時雨と呼ばれており、触れたものを急速に劣化させる。この時雨がプレイヤーの建てた建設物すら緩やかに壊していく。これらとプログラム上のコントロールによってゲームは破綻しないようになっている。

これらのゲームシステムは、いつもの小島監督作品らしくシナリオに密接に結びついている。ストーリーに関してはネタバレになってしまうので多くは語らないが、いつもどおり政治的であり、今回も物理学、生物学、宗教、オカルトなどいろいろな分野に広がりを見せていて、個人的にはたまらない仕上がりになっている。だが、正直いって基礎知識が無いと十分に楽しめるとは思えないシナリオなので、万人が楽しいと感じるのは難しいだろう。それでも、プロジェクト発足ではなく、スタジオ立ち上げから4年でこのレベルのゲームを作り上げることが出来たのはさすがだというべきだ。

一度クリアしてからゲームの冒頭の方のムービーを見てみると、数多くの伏線が張られていることに気がつく。そしてその多くがきちんと回収されている。いくつかの謎は明確な回答を避けているようだが、それも断片的な情報をつなぎ合わせていくととりあえず納得できるようにはなっている。ただ、その為にはゲーム中にNPCから届くメールや、開示されたドキュメントなどを読み込んでいかなければならないので、そういうのが面倒な人にはこのゲームのストーリーはよくわからないものでしか無いだろう。そういう意味で人を選ぶゲームであるといえる。

ゲームを含むエンターテイメントが、よりわかりやすいように、プレイヤーや視聴者や読者が理解できるようにと、なんでもかんでも一から十まで説明してしまう事があるが、個人的にそれはいずれ自分たちの首を絞めてしまうことに繋がると危惧している。なぜなら、受け取る側が何も考えなくていい状態がずっと続いてしまうと、次第に考えることを放棄して、考えなくてもいいものばかり求めるようになってしまうからだ。Wiiでリリースされた「ラストストーリー」をプレイした時に、ムービーが流れた後にそのムービーの情景をいちいちナレーションで説明していたが、いま見たばかりのことをなぜまた音声で二重に説明するのか疑問に思ったことがある。要は、プレイヤーの読解力が信頼されていなかったのだ。あの物語はそこまで何重にも説明されなければならないほど難解なものではなかったのだが、何故か坂口博信氏はそのやり方を選んだ。おそらくプレイヤーの事を思ってやったことなのだろうが、個人的にはやりすぎだと思った。

「DEATH STRANDING」がもたらしたソーシャル・ストランド・システムが、メタルギアのように新たなジャンルの祖となる可能性は低い。このシステムを楽しめるレベルまで落とし込み、「DEATH STRANDING」とはまた違ったゲームに仕上げるのはかなり難しいだろうからだ。それでも、このゲームが誕生した意義は大きい。このゲームのテーマは「繋がり」であるが、繋がることに疲れ始めている人間には、このゲームの「緩やかなつながり」が心地よく感じることだろう。少なくとも私はそう感じた。

生物に多様性が必要であるように、ゲームにもまた多様性が必要なのだ。その多様性を、新たな「A HIDEO KOJIMA GAME」に私は見た。

それは完璧な作品では決してないが、私にとっては唯一無二の傑作であった。

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