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濁った感謝

今日は、先日書いた記事の補足から。

まず私が言いたいのは、酷い親の元に育ったという被害報告ではない。

むしろ世間から見て中流以上の「何不自由ない幸せな家庭」で育った。そんな「幸せ」出身者でも、こうして子供の頃の感情へフタをしたまま大きくなった大人についての気づきを共有したく、こうして記事を書いている。

それに、ここで語るような「酷い親」にも、そうならざるをえなかった理由がある。私も自分の親についてはその点解明済みで、本人が悪いわけではないということが痛いほどわかった。(ここについては後ほど)

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インタビューなどでよく見る質問と回答。
Q「尊敬している人は?」
A「両親です」
Q「大切なものは?」
A「家族です」

模範解答だからそう答えてるのだと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。本当に家族が一番大切で、心から両親を尊敬している人がいるのだ。
それがわかったのは、社会人になってから。
不倫もたくさん見たけれど、その反対に素敵なカップルや家族にたくさん出会った。

最初は信じられなかった。結婚式では「こんなに幸せそうなのに、どうせ不倫するようになるんだなぁ」と、哀れみと蔑んだ気持ちで参列していたくらい、私の周りには不仲や不倫、離婚が溢れていた。
なのに、その結婚した先輩たちは幸せな家庭を築いていったのだ。もちろん喧嘩もあるし日々問題はあるだろう。だけど私が衝撃だったのは、夫婦が意見を言い合い議論をし、お互い主張はするけれど譲り合いながら、落としどころを探っていく作業をしていることだった。

前回の記事で「意見を聞いてもらったことは無い」と書いたけれど、夫婦仲もそうだった。文句を言う父と我慢する母。「議論する」ということを知らなかった。友人が「今日は家族会議なんだ」と言っていて、どういうことか本当にわからなかった。

それでも家族の話題になると、
「親にはとても感謝してます」
こんな言葉を周りと同じように吐いた。
それは本心だった。
でも同時にこうも思っていた。
「あんな大人には絶対にならない」・・・と。

過労になるまで働いて、高い学費を払ってくれた。
欲しい物も我慢して、自分に尽くしてくれた。
そんな形だけの愛を受け取った私は、形だけの感謝をし、
そして同時に、軽蔑していた。


本当は悲しかった
本当は嬉しかった
本当はこうしてほしかった

心理学ではインナーチャイルドなどとも言われるが、幼少期の気持ちを消化しないままだと、大人になってもそれが影響し続けるということも知った。

だから今からでも遅くない。
子供の頃の感情を感じきってみようと思ったのだ。

そしてそんな蓋をしてドロドロに腐った感情を一つ一つ感じてあげたら、やっと本当の感謝の気持ちが出てくるんだと思う。



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これからも私は家族に関することを書くでしょう。
でもそれは、あくまでも私のストーリーです。父には父の、母には母の、弟には弟の視点で、違った事実がきっとある。
実際、弟は「姉ばかり愛された」と感じており、私は嫌われている。(この考えさえ私の視点に過ぎない)

最初に触れた「親が何故そうなったのか」についてはいつかきちんと書こうと思うけれど、一つだけヒントを。

もし私と同じような体験をし、親に責める気持ちが出てきた人は、まずは自分の中で親を責めて責めて責め切って、自分の気持ちを消化してください。
ノートに当時の気持ちを殴り書きするのもいい。

そしてその後で考えてみてください。
「なぜ親はそうしたのか?」を。

いや、もっというと
「何故そうせざるを えなかったのか?」と、性善説で考えてみること。
どんな育てられ方でも、親に愛されていたんだと、わかるといいね。

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