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65. 視座を下げよう

「視座を」ってGoogle検索すると「視座を高める」とか「視座を上げるメソッド」という言葉が並びます。視座を上げるためにはどうすればいいか?ということに多くの人が悩んでいるんでしょうね。視座を高めることが正解、という印象を受けます。

でも、私がいま苦しんでいるのは逆の「視座を下げる」ことです。
ずっと視座を下げるのが苦手です。

何かを成し遂げたいとき、人は「何のためにやるのか」という目的を考えて、「そのために何を成し遂げるのか」という目標を立てて、「それをいつどのようにやるのか」という計画を立てます。ここは視座が高くないとできないです。

でも、ここだけで終わってしまったらただの机上の空論にすぎないです。私はよくここまでで終わってしまう。
何かを実行する、というのは大変で、時には人を巻き込み、時には自分が背伸びをしないとけません。計画通りにいくことは少ないし、予期せぬ壁にぶつかることも多い。けど、それを乗り越えて実務を回す人が必要です。「実務」ってないがしろにされがちな気がするけど、とても大変です。
「なにかをやろう!」と決めたら、「これって意味あるのかな?大丈夫かな?」とかは深く考えずに、視座を低くして思いっきり没頭するのがいいんじゃないかな、と最近気づきました。

もちろん、視座が低い「だけ」ではだめです。ひたすらガムシャラに頑張っても方向性が間違っていたら意味がない。でも逆も然りで、視座が高い「だけ」では何も生まれないです。
「視座を下げられる」、というのは「実務を回せる」、ということ。ちゃんと「実行できる」人は視座を低くして、とあるタスクに没頭できる人なんだと思います。

ただ言われるがままに実行するだけの人でもなく、ただ計画するだけの人でもなく、「自分で目標を立てて、しっかりと実行する」人が結局偉い

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