#05物乞いに会ったらあなたはどうしますか? -にょぎ-
こんにちは!にょぎどぅー日記の「にょぎ」です。にょぎどぅー日記は、ひょんなことからバングラデシュにしばらく住むことになった仲良し女子大生「にょぎ」「どぅー」の2人が、バングラデシュでの暮らしを通して考えたこと、感じたこと、学んだことを発信していきます。全く思考回路・性格が違う2人が、同じテーマをもとにゆるっと書いていきます。日本に住んでいたらきっと気づかない「日常の当たり前ではなかった当たり前」を発信することで、少しでもみなさんの世界が広がったらな、と思います!
今回のテーマは「物乞い」。日本ではほとんど見かけることはありませんが、バングラデシュでは声をかけられない日はありません。そんな物乞いに会った時に考えることは人それぞれで、「お金を渡すべきなのか」「いくら渡したら良いのか」などなど、答えのない議論が良く話題にあがります。今回はそんな物乞いに対して思うことを率直につづっていきたいと思います。
※ここで出てくる話は事実確認を取っておりません。参考程度にご覧下さい。
自分のスタンス
私は基本的に物乞いにはお金を渡していないです。理由としては:
物乞いビジネスの存在
どぅーのnoteにもあった通り、「物乞いビジネス」の話はよく聞きます。バングラにきたばっかりの時にその話を同僚なり先輩なりに言われてから、基本的にはあげておかないようにしよう、と思いました。キリがない
物乞いされることは、バングラの日常生活から切り離すことができないです。私は徒歩5分の出勤ですが、そのたった5分で平均3人くらいには物乞いされます。その全員に毎日行き帰りあげるのも何か違うし、誰にあげるのか毎回変えるのも何か違うし、どういう基準であげるのかも一瞬の間で決めるのは難しいです。なので基本的にはあげていないです。
自分のことしか考えられていない
「基本的に」あげない、ということなのであげることもあります。その基準は…
ぶっちゃけ自分の気持ちです。
あ、あげたいなぁ…、という気持ちになったらあげてます。どういう時に起きやすいか、っていうと、たぶん
自分の手元にお金がある
買い物をした直後や乗り物のドライバーさんにお金を渡した直後、大体お釣りとかを手元に持っていますよね。そのときに物乞いされると、「わざわざ財布を取り出す」という段階を踏まないから渡すハードルが低くなります。
周りの人があげている
一緒にいた同僚や友人があげていると、「あげなきゃ」という気持ちになることが多いです。「あげないと自分は薄情なんじゃないか」って思ってしまいます。
相手が障害を患っている
交通事故などで手足が不自由な人は多いです。そういう方から物乞いされると渡したい気持ちが出てきます。
ほかにもありますが。。。ざっとこんな感じかもです。
とりあえず、「自分があげたい」って思ったときにあげていて、それ以上もそれ以下も考えられていないです。
お金をあげる行為の意味
「お金を誰かにあげる」
その意味は、あげたり、受け取ったりする人や、どういう場面なのかによって変わると思います。
ですが、私にとって物乞いにお金をあげる行動は、自分にとっての利益しか考えてない、とても自己中心的なものです。自分の「あげたい」は、「あげなら自分がいい気持ちになりそう」ってなるときなので。
けど、よくよく考えてみたら、「お金をあげて自分の利益になる」って少し不思議。
物乞いが存在している理由のうちに、物乞いに対してお金を上げる人が一定数いるから、というのがあるのであれば、「お金をあげることで自分利益になる」と思う人が一定数いるわけで。この利益は「お金」には換算されない「利益」だから、なんかちょっと不思議。
人間は「誰かのために何かをした」と感じるといい気分になる。そこの心理をうまいこと使っているのが物乞いなのかなぁ。
この「誰かのために何かした」と感じることによって自分の「利益」になると考える人間の側面は、ひたすらに「金銭的な」利益を追求するこの世の中では忘れられている気がする。
話はそれたけど、物乞いのことを考えたらそう思いました。
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