#17 温情と非情のあいだに
~神様は,その課題をクリアできるようになるまで,同じ試練を与え続ける~
「泣いて馬謖を斬る」蜀の名軍師である諸葛孔明が軍令に背いた愛弟子の馬謖を処断する,三国志では有名な場面です。信賞必罰,私情をはさまず規則を厳格に運用しないと組織が機能しなくなる,という教訓を印象的に伝える逸話です。ところで経営の現場では,このような温情と非情の狭間で経営者が苦しむというようなことが,起こっているのでしょうか。
実際には,温情と非情とのあいだに優柔という打算があって経営者を悩ませているのではなかろうかと思います。会社のためには辞めさせた方がよい人物がいたとして,でもその人物が実力者だった場合,その人物がいなくなったら仕事が回らなくなるのではないかと不安になって,首を切ることができなくなります。実際にこのような優柔不断なシチュエーションを,私はコンサルティングの現場でよく見てきました。
ところで私の経営者時代,私にとっては信義にもとる行為をした経営幹部をレイオフしたことがあります。そうしたらその経営幹部についていたスタッフたちが造反して,現場が全く回らなくなったことがありました。優柔不断ではダメですが,徹しすぎるのもいかがなものか,ということです。そのあたりのさじ加減は,実際に経営者になって従業員をクビにするということを経験していかないと,うまくならないのだろうというのが実感です。
違った角度からその経験を思い出してみて,当時の私は問題を起こした経営幹部のSOSを受け止めていなかったのだろうと,最近になってやっと気が付きました。その経営幹部は,状況が厳しくてそこから逃げたかったのに,ゲームを降りたかったのに,私がそれを許さなかったので,自らレイオフされるような行動をとったのでしょう。会社を離れる時の,ホッとしたようなスッキリしたような彼の表情を思い起こし,すべてが腑に落ちた気がします。
「クビにしないといけない人はクビにしないといけない。クビにできずにグズグズしてると会社がおかしくなるし,そういう人を社長がキチンとクビにできるようになるまで,神様は何人でもそういう人を社長の人生に登場させる」と斎藤一人さんが言っています。私は五十余にして,果たしてどこまで成長できたのでしょうか,自分でもよくわかりません。
正しいことより「適切なこと」に重きをおく,プラグマティックな実践主義コンサルタントです。経営の鬼門はヒトとカネ,理屈ではなく現実を好転させることをモットーとしています。 お問い合わせは,https://prop-fc.com/mail/mail.html