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言語の壁を越えて

海外の人と英語で話していて、理解できる割合はものすごく少ないけど、それでもわかる情報の中で、時々自分の無知さや考えの及ばなさに驚くことがある。

これは複雑な気持ちだ。なぜなら同時に新しい道が開ける喜びがあるからだ。自分の中のキャパシティや認識の基盤が広がる瞬間でもあるからだ。

ずっと日本の中で暮らしてきたからか、自分は日本のことすらよくわかっていなかった。そして世界のことも。まるで自分が子供なように感じる。

これに気付くことは、強烈な焦燥感を伴う。
そしてそれでもなお自分を発信し続けることはとてもハードな時がある。自分の足りなさを全面に押し出している気分になる。

でも自分の未来の姿が全く今とはかけ離れたもので、創造的なものだと心から信じるならば、これはただの恥晒しではなく、過程に過ぎない。僕は毎日学び続けてる。

僕は音楽を作る上でその根源である自分自身のものの考え方やパーソナリティを見つめ直している。
そのためにはまず自分の活動のフィールドを広げる必要があった。そして人との出会いが必要だと思う。そしてそれには言語が必要だ。

最近ラオスで仲良くなった仲間たちは僕が英語をあまり話せなくても根気よくコミュニーケーションを取ろうとしてくれた。本当に、本当に素晴らしい出会いだった。僕はもっと英語を話せるようになって彼らに会いに行くつもりだ。必ず。

素晴らしい仲間たちと出会うことを通して、ぼくは自分の素晴らしさを知ることができた。
彼らは、僕にたくさんの良い評価を与えてくれて励ましてくれた。
そして、こんな素晴らしい仲間と出会うことができる自分自身が、素晴らしくないわけがない、そう思えるようになった。

今ラオスからベトナム、そしてカンボジアからタイのバンコクにやってきた。
ラオス以降1人で旅していてたまに寂しい。

でもまた必ず素晴らしい出会いが待っている。その時のために日々英語を学び、制作や活動を整えている。

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