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「自分がどう思うか」を大切に

こんにちは!ゆきやまのトコです。

足元が濡れたり走らなかったりで雨は嫌いでしたが、
乾いた空気と土をさあっと潤してくれる感じがして、
最近はそんなに嫌じゃないなあ。
そんなことを思った朝でした。

✳︎

最近、物欲の手綱を握る手がおぼつかなくなってきたような気がして、このままじゃイカンと、
小川糸さんの「これだけで、幸せ」を読みました。

「これだけで、幸せ」

その考え方や、小川糸さんに厳選された素敵なものをみたらきっと、「あれもこれもホシイ!!」という俗物的な気持ちがセーブできるのではないか。

そんなしょうもない期待(下心)を抱いて読み始めたのですが、読了した今、色んなことを考えさせられています。


「好き」や「心地いい」の基準は人それぞれでとても主観的なものです。人がどう言っているかとか、世間のランキングで何位かという基準ではなく、自分がどう思うかを常に見つめる態度を持ち続けること。

ーーもの・ひと・ことを通して自分の「好き」を追求でき、自分自身を大切にできているという実感を持つことが、とても大切であるように思います。

自分の「好き」
≒「これ素敵!」、「これがある暮らしがしたい!」

という気持ちに忠実にモノを選んできたつもりでいたけれど、それは本当に自分の「好き」だったのかな。

定期購読しているGISELeや憧れている人のSNSを見て、服を買うことが多いこの頃。

「こんな風になりたい!」

という憧れの気持ちがベースにあるのは自覚していたけれど、そこには

「こんな風に見られたい!」

という気持ちも紙の表裏のように、さりげなく、けれど色濃く、あったように思います。

その時のバランスとして
「自分がどう思うか」を
私はどれくらい大事に出来ていたのかな。

私が主に使うSNSは、Instagramとnote。
Instagramは非公開アカウントで、限られた友人相手に
noteはこの通り、名前は明かさず不特定多数の方に向けての更新です。

そうなったとき、

個人情報全開だからnoteには載せられない写真、
のように、Instagramだから投稿できることもあれば、

逆にnoteだから投稿できること、
もあることに気づきました。


例えば、先日の「HERMESの時計を買いました」
という投稿は、Instagramにはあげていません。
「なんだ、自慢じゃん」と思われたら嫌だな。

そんな気持ちが勝ってしまったのがその理由です。

ここでも、「どう見られたいか」を気にしていることに気付きました。

「自分がどう思うか」を一番に大事にすることも
できるはずなんだけれど。そうなんだけれど。

考えた末に、今の結論はこうです。

「人がどう考えるか」
を一切無視するというわけではなくて、

それを踏まえてなお、
「自分がどう思うか」を一番大切にできるかどうか。

まずは何より、
自分の想いにきちんと耳を傾け、
尊重できるようになりたい。
そして、責任と自信を持って、モノを迎え、
長く大切に使える人でありたいな。


まだまだトレーニングが必要ですが、
心がけて、鍛えていきたいなと思いました。















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