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いいかげん

匙加減という言葉があるように、加減という単語は頻用されている。お風呂に入っているときは、いい湯加減だな、なんて思ったりする。
でも、最近私がよくその単語が脳内に満たされるときは、なにかしらの文書を提出するときだ。(イイカゲンな文章になってやしないか)と。
こういう時のイイカゲンは良い加減とは真逆で、文責を負わないほどテキトーなことを意味している。それを指摘されることは、私にとって非常に恐ろしいことである。

だから、イイカゲンでないか、他の人の文章と見比べることが多い。けれども、あくまで他の人の書いた文章と私の文章は別物であり、重複するのであれば書く意義を見出せない。
と、最近気づいた。ウンウンと悩みながら文章と睨めっこするよりも、書きたいことの本質を見極めて、削ぎ落とす作業に時間を費やす方が効率的だ。

以来、文章はちゃっちゃと書いて他人の目に晒してフィードバックをもらうことにした。イイカゲンなものが飛んできた方はたまったもんではないであろうと推察するが、塩梅的にはそこまで悪くないものを晒すことにしているのでご勘弁いただくことにしている。

ひとりで抱え込まないこと。
自分を過信しないこと。
困ったら引き目でみること。

そういう、いい加減さも食べていく上で必要なのかもしれない。

とい。

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