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自分の弱さと対峙する

毎日パソコンの前に座って、あーでもないこーでもないと文章を打ち込んでは消してを繰り返している。時々昔書いた文章を見遣っては、(あぁ、この時はこれくらい朝飯前だったのにとか、何故こんな稚拙な!)と情けなくなったりする。
時間の流れは早いのに、成果物となるべき文章の作成は遅々として進まず、澱んでいるようにすら思える。

社会人学生生活も最終盤に差し掛かり、はて、私がこの生活で何を得たのだろうか、と考えると、特に何も身につけていないように思えて愕然とする。
余裕がある時に思い返すと、実はこの生活の中で身に付けたことは多く、胆力も付いたのだと気付く。

分かってはいる、分かってはいるのだが…。

パッと申し述べるほどの成果は上がっておらず、何とも言えない気持ちになる。

この生活の一番肝になるところは、きっと、自分の弱さと常に向き合い続けるというところだと思う。それに耐えられるか、いなす事が出来るのか、そういう篩にかけられながら、形のないものを形にしていくというストーリーを聴衆に語らねばならない(でないと卒業できない…)。

自分の弱さとは、具体的には、未知のものと向かい合い続けるのが苦手である事だろうと思う。昔からそうだ。よくわからないことに興味を持つのに、その興味は長続きしないのだ。

だから、切羽詰まらないと対峙できない。
そして、対峙するまでに時間がかかり、対峙してからはものすごく体力と気力を消費する。
そして、怖がっていた対象の物事は絡んでいた紐が解けるかのように簡単に解決したりする。(忘れ去っているだけで、解決の取っ掛かりを過去に見つけていたりもする。)

そうすると、「あー」に濁点を付けたような声が全身から滲み出る。

またこのループにハマってるよ…と。

苦手なことや、弱さと向き合うことはしんどい。

時々なーんも持たずにぼけーっとして銭湯の湯に浸かりたくなる。いいお湯あれば教えてください。