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自分をゆるす「とき」がきた

私は私自身を「卑怯で小狡いやつだ」と思ってきた。それは小さい頃から、私は私の中にそういう部分を秘めている、悪いことだと思っているから隠していると思ってきたことだ。

私の親のなかにその影がみえるのが嫌になって、顔を、存在を見なくなった。遠ざけた。見てしまったら、私がひた隠しにしてきた「卑怯で小狡い私」が飛び出してしまいそうだったから。

だから、しまい込んだ。

素直で人当たりが良く、愛想良く振る舞うことの出来る部分を磨くために励んだ。
その部分を追求される日が来ないようにする為に。
ちょっとやそっとじゃ剥がれないメッキのように。


今日、夢を見た。
ザーッと降りしきる雨音とともに流れ下る茶色く濁った土砂の中を、私が必死に避けてきた親が流れていく夢だ。

恐ろしかった。とても、恐ろしかった。
私を産み育ててくれた人が突然にいなくなるのではないか、と。そういうことは世の中たくさん見聞きするはずなのに、自分の周りではもう少し先のことだと何故か思い込んでいた。

雨が降っていないことを確認して、通話ボタンを押した。長らく連絡をとっていない画面に「0:01」が表示された。あぁ良かった、本当に良かった。間に合った、と。



少しばかり卑怯で小狡くても、いいじゃないか。
腹が立ったら喧嘩して、暫くしたら美味い飯を食べればいいじゃないか。私たちの間に残された時間はそんなに多くない。それならいっそ、ぶつかり合って生きていこう。

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