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知らぬが仏のデンジャラス母ちゃん伝説・・・何を?



🔳知らぬが仏ストーリー ~保育園入園編~私は呑気だった

自分の子に障がいがあっても、時期が来たら普通に、保育園に行って小学校に入って中学校に行って、と思っていた。
無知な知らぬが仏の母ちゃんだった一番の「知らぬが仏エピソード」は教育についてだよ!

障がいを持つ子をママは1度はぶち当たる厚く高い壁の話だと思う。

保育園に入るって当たり前のことだよね?


ハイ、「障がいがあっても保育園に入るのが当たり前」だと思っていました私。
でも、皆そう思わないかな?
園児が多くて待機とか、そういう問題は知ってたよ。
それは皆に平等に起こることよね。


でもね、たっくんは見た目が既に障がい児。
3歳を目の前にして周囲が保活(今時の言葉を使った)を始めた頃のこと。
何も考えてないことを悟られていたのか、私は周りのママから、

「入りたいところに入るなら早めに動いたほうがいいよ」

とアドバイスをもらったの。

そこでまた何も考えなかった私は「一番近くて自分が行っていた保育園でいいや」と、「お寺がやってる保育園しかも檀家だし入れるでしょ」と呑気に構えていたの。

ただそこで周りのママから更に「一回見に行ったほうがいいよ」と言われて連絡した時、そこで一応障がいがあることを伝えた(一応ね)。

そしたら、ナナナなんと!

そこで一旦保留にされ、実際に会ってもらうこともなくお断りされました。

その理由は「園で責任が取れないから」とのこと。

嘘でしょ!?

これは本当に腹が立った。

入園後に発達の障がいがわかった子や途中で障がいを持ってしまった子は断らないけど既に障がいがあると責任が取れない?????

理解できない、意味がわからない。

すぐ園長に会いに行ったよね。

でも全然話にならない。

ダメならいいわ!

「次! 次!」と他の園にも連絡した。

でも、そしたらなんと、なんとだよ?
通える範囲の保育園、幼稚園は全部断られたの。

「障がいのある子は断られる」なんて、初めて知った現実だったよー

流石の私もこたえたよ

でもそんな中、一つだけ、希望の光が見えたことがあった。
カトリックの幼稚園が書類も何もなく見学に行った時その日に入園の許可をくれたの。
その時の先生の言葉は忘れない。

「お母さんよく頑張ってきたね、もう心配しないで! 他のどこの園に入れなくても、ここはたっくんを受け入れます。入園式まで最後までやってダメだった時には入園式に来てね。もし、他の園に入れたら連絡くれたらそれでいいからね」

本当に嬉しくて泣いた。

その後、その時に働いていた病院の院長(今も在籍してる)に、「今仕事をできる精神状態じゃないから辞めたい」と言ったら、

院長「何? どこもダメってどういうこと? あの子は普通の保育園に行けるじゃないか、今すぐに市役所に電話してやるからかけろ」

本当にすぐに電話してくれた。

そして一言、

院長「話も聞かないで断るのはどういうことなんだ? 会ってみて決めれないのか?
普通に通える子、市民を見捨てるのか?」

とその一つの電話で、市役所に行って話す機会をGETした。

そして「どうせ、断られるんだろう」と思って行ったら、手のひらを返したように今入れる保育園リストを用意してあった。

なんだよ、院長とか立場のある人の話なら聞くのかよ。
超絶悔しかったけど、結果、公立の保育園に入園できた。

この入園をきっかけに、息子たっくんは地域、県に新しい実例をどんどん作っていくのであった。

ちなみに、ここまでくる間にたくさんの方に助けてもらってきた。

ここで紹介した、

・院長
・幼稚園の副園長先生
・私の高校の先輩が障害児を受け入れると○がされている保育園、幼稚園のリストを作ってきてくれた
・リハビリの先生、コーディネーター
・友人

もちろん、受け入れをしてくれた市の方々

本当に感謝でいっぱいです。

でも、デンジャラス母ちゃんは、この時にたっくんの心に傷を負わせていたことに、まだ気づいていないのであった……

🔳知らぬが仏ストーリー~小学校入学編~


ステージが上がり、小学校を目指すことになったたっくん。
そして小学校でも再び、「知らぬが仏」な母ちゃんは呑気に構えていたのだった。

保育園は入れるのに苦労したけど、「小学校は義務教育だから問題ないでしょ」と思っていた。
義務教育って、子どもにとっての「教育を受ける権利」だからね。

もちろんデンジャラス母ちゃんは当たり前に「地域の公立小学校入学」を目指していました。

なぜなら、たっくんが公立の保育園に入ったお陰で、沢山の方からの理解を得ることができたから。

「支援学校より公立の小学校に入学することが望ましい」と巡回しているコーディネーターにも言ってもらえていた……のに、この後、もっと高い壁にぶち当たることになります。

入学決定通知が届くまで


普通、小学校入学に関しては1年前から入学前検診や説明会がある。

でもたっくんは、学校側、市や県の教育員会、入学に支援が必要な子を持つ親の説明会、面接が入学2年前から始まった。

ここでまた大きな壁にぶち当たった。

だって、公立の保育園に入ったんだから同じ市の小学校に入るのは普通と思っていたから。

皆そう思わない????
思うでしょ!

それが、断られたのだ。

当たり前の権利を当たり前に使えないことが納得できなくて、何度も聞き直した。
でも何度聞いても断られる理由がわからない。

【学校側の説明】
・前例がない
・設備が整っていない
・何かあったら困る(何かってなんだよ)
・お母さんに付き添ってもらうことはできますか?(できるわけないだろ)
・加配の教員がいなかったら自費で付き添いの方を用意してもらうこともある
(は? 自費? 働いても足りんやないかい)

まったく理解できない。
「教育を平等に受ける権利がある」という意味での義務教育期間じゃねーの?

全然納得できなかった。
だからしつこく聞いた。

あんたらの子が同じ立場だったらそう言うのか?
納得するんか?

相当イライラしてたな。
その反面、不安だったな……

でもここでも、神様は見捨てなかった。

ちょうどその頃、入学を希望していた小学校の耐震工事のため、スロープや階段などをバリアフリーにする案が上がっていたのだ。

この情報は保育園の先生のご主人が、市の教育委員会で耐震工事の担当をしていて、教えてもらったの。
本当に神様っているんだな、と感じた瞬間だった。

その情報をもとに、市の教育員会の教育長に会いに何回行ったかな?(笑)

バリアフリー、エレベーターをつけて欲しいなど。
市の予算とか、日程とか関係なく、やれるならあれもこれもと、次の子達にも必要くらいな勢いで、かなりしつこい母ちゃんでした。

そして入学まで1年を切ったら、入学前の説明会、就学前検診が始まった。

私は検診や説明会に行くかどうか悩んでいた。

「この状況で説明会や検診に行って、もし入れなかったらこの子になんて言おう?」
もう保育園に入る前の3歳とは違って、いろんなことがわかるようになっていたから。

当たり前に入学許可の通知が届くという確約はまだもらっていないわけだし
通常入学決定通知は年明け中旬に届くと聞いていた。

市の方からは、

「入学までにはお返事します」

と言われていた。

そんなことある?
入学前っていつよ?
ランドセル買っていいの?

そんなにギリギリで入れなかったらどこ行けばいいの???

毎日が不安だったな。

そんな時に、たっくんが言った。

「僕は、みんなと一緒の小学校行けるのかな?」
「保育園の時も入れなかったでしょ」

えええええええええええええええ!
何? 何?

3歳の君はあの時の状況を理解していたの???

……隠し通せていたと思ったけど隠せてなかった。
そして……今も隠せていないってこと???
隠せてないよね?

たっくんにはごめんしかなかった。
こんな小さな子を不安な気持ちにさせていたことに、全然気づいてあげられてなかった。

デンジャラス母ちゃんは、
「ママがなんとしても〇〇小学校に行けるようにするから、安心して大丈夫!」
何の自信も根拠もないけど、それしか言えんかった。

でも神様はまたいたんだよ。

結果から言うと、周りの皆と同時期に入学決定通知が届きました。

ミラクル~、
うちの市なかなかやる~!
上から目線の母ちゃんです。

本当に本当に喜んだ。
泣いた。

そして遅ればせながら一緒にランドセルを買いに行った。

あの頃のたっくん可愛かったなー。

この時点でお分かりだと思いますが、この子はすでに私の魂の年齢を超えている片鱗を見せていた。

正直、今も敵いません(笑)

こうして、2年かかった小学校入学への道も終わり、公立校入学という念願が無事叶ったのでした。

小学校での生活についてはまた書くよ(もったいぶる(笑))

🔳知らぬが仏ストーリー(中学校入学編)

小学校は6年間あるから、「中学校入学はずっと先だよね」と結構ゆったり気を抜いていたデンジャラス母ちゃん。

小学校に入るのはそれはそれは大変だった。
……今度は中学校。
でも「すぐそこの中学に行くだけ」くらいに思っていた……けど、甘かった。

中学は移動教室が多かったり、担任が授業をするのではない教科担当の先生がする。
だから、小学校とは別の理屈で難癖ついてくるんだ。

「そんなこと知ってるワイ」ってな感じの私。
何か問題でも?
とまたデンジャラス母ちゃんの「納得理解できない」が発動します。

「今まで小学校行ってたんだから大丈夫でしょ」
中学からいきなり何が変わるというのか。
小学校までOKで中学校から行けなくなる?意味がわからない。

ここでは、トイレ問題や移動さまざまなことを細かく指摘されたっけ。

でもたっくん本人は「全部大丈夫」と言い張ったの。

「できるわけねーだろ」と母はたっくんを信じない。

でも驚くことに、できたの、できるの(笑)

そこで初めて気づいた。
教育委員会や学校関係者が、息子を何もできない障がい児と見ていることに腹を立ててたけど、私も同じだったこと。

反省。
打ちひしがれた。

そこからは何を言われても、
「大丈夫ですこの子できますから」と根拠なく言い張った。

だって結果できるから。
そんなこんなで中学校は一番スムーズな入学許可が降りた。

加配の先生は校長先生まで勤めた教員生活を終えたある意味レジェンド。
たっくんはその先生を「〇〇じい」呼び。
守られた学びの多い中学校生活を過ごした。

※加配の先生:学校側の要望により上乗せして配属される教員

でも中学3年間ってはやいよね。

入って1年後には進路を決めまたデンジャラス母ちゃんは奮闘するのです。

🔳知らぬが仏ストーリー(高校入学編)

中学入ってすぐに先生から高校の準備は来年くらいから始めますと言われた。

はーーーーーー?? もう??
入ったばっかでまた私戦うんかーーー!?
デンジャラス母ちゃんは戦うのでした。

本人の学力もわからないのに行く高校決めるってすごくないですかー?

まず希望は
1、家から近くて私が送迎できること
2、バリアフリーであること
3、学力が伴い行けるところ

本当に選択の自由はない。
だって、家から近い高校出て行ったら、3校しかない。
その中で本人が希望するのは、なんと母の卒業した高校。

そこは一番学力が高い(ちょっとドヤっているデンジャラス母ちゃん)。

うちの子いけるんか?
行くんか?

そこから「学校、県教育委員会との話し合い」という戦いが始まった。

学校・教育委員会側からの説明は以下。

・高校は義務教育ではないため加配の先生はつかない。
・学校での生活は基本自立していないといけない(無理っしょ)。
・学力が足りなければ留年という制度がある。

と、こんな感じでまあまあ拒否的な反応をされておりました。

教育員会は支援学校を勧める。
支援学校では公立高校を勧める。

どっちやねん、と。
見解統一してくれ。

本人は大学進学を希望しているので支援学校では十分な学習ができない。
支援学校に先生は、山梨県で一度も支援学校に通っていない息子のことを知っていた(これは結構びっくりだった)。

こんなことを中学1年生から考え始めた。
教育委員会は
「トイレは一人でできますか?」
「移動はどうしますか?」
「基本的に教員は手伝いません」

などなど、息子の「出来ない」を細かく探していくような質問を繰り返された。

ちなみに学校は「教育委員会の決定に従う」という一点張り。

……マジで受け入れる気なんて感じられなかったわ。

デンジャラス母ちゃんは疲弊しておりました。
保育園、小学校、中学校と「当たり前」を通すのに戦ってきた母ちゃんだけど、高校進学は難関だと感じてたな。

でもここでも神様はいたんだよね。

高校への入学にはひとりぼっちの戦いかと思っていたけど、応援してくれている先生もいたのだ。
自分の卒業した高校であったことが奇跡を起こしてくれた。

嫌々だったけど3年間部活をやっていた(意外だけどバスケ部)んだけど、顧問の先生が教頭先生としていてくれたの。
知らないところに挑むより、相手側に知っている人がいるのは心強かった。
そして、その先生から「簡単じゃない。でも、できることはする」と言われたんだ。
ちなみになんと養護教諭も、私の知ってるあの頃若くて可愛かったあの先生だった。

先生方は「あのデンジャラス母ちゃんがアンタだったの?」
「びっくり、すごい頑張っているお母さんだって学校でも話してたんだよー」って。

私、褒められていたみたい
頑張ったねーって。

もう一つの奇跡は、息子が入学する年に障害者差別法が制定されることが国会で決まったこと。

※障害者差別法)障害者差別解消法は、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられること
なく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進することを目的として、平成25年6月に制定。

だから「差別してみろーーーーっ」てな感じで、デンジャラス母ちゃんは謎な自信を持った。

でもさ、高校て受験じゃん!
まず、受験していいと言われなければ、そもそも受験が出来ないのだ。
願書っていうものを受理してもらえなければさ……

そして、その前に「ここまでしてるのにたっくんの学力が足りなかったらー」とか、けっこう悩まされたよね。

そのことを悩んでいたのも私だけ
当の本人のたっくんはいつも自信満々です。

本当に色々あったけど
受験の資格を得て、さらに試験にも受かって無事に我が母校へ入学することができた。

障がいの程度一種一級の子が支援学校に行かなかった奇跡


私たちが住んでいるのは田舎の小さな市。
だから、都会のように障がいのある子達に寛容ではないんだよ。
だから行政は基本的に、保育園に入ろうとした時のように「障がいのある子はそういう所(障害施設など)へ行けばいい!!」という姿勢なの。


はっきり言って人権なんて微塵もない。
愛情も感じない。
ってなもんだった。

でもたっくんは大学院生になるまで一度も支援学校には行かずにこれた。
これは田舎で小さい市だけど理解してくれる多くの方のが支援してくれたおかげなんです。

デンジャラス母ちゃんのこだわりというか、信念は、

「うちの子が特別と思ったことはない」こと。

中学の時にインクルージブ教育について母親代表で発表したことがある。
その時にたくさんのお母さんから、
「すごく頑張ってこられたんですね」
「どうしてこんなことができたんですか」
「私も頑張っていこうと思います」
たくさんのお褒めの言葉とお礼を言われた。

※インクルージブ教育)インクルーシブ教育とは、多様な子どもたちが地域の学校に通うことを保障するために、教育を改革するプロセスであると定義しています。
国籍や人種、宗教、性差、経済状況、障害のあるなしにかかわらず、全ての子どもたちが対象です。

はっきり言ってよくわからなかった。
やれることをやってきただけ。
「普通に学校行くって大変なんだ」って思いながらやってきただけだったの。

まあまあ呑気よね。
だからできたのかもしれないって今は思うよ。まさに「知らぬが仏」だったんだよね。

教育基本法第4条
「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、~」「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」 と定めています。

これ「実際機能しているのか?」って言いたい。
親が何年もかけて準備しないと教育を受けることができないなんて、本当にあり得ない。
しかも、選択肢が狭く限られている。
障がいのある子も沢山の能力を持っているんだよ。

その子に平等に教育が受けられないなんてはっきり言って、
「教育格差」
だと思う。

あれ? 真面目に語っちまった。
こういう真面目な話も軽い感じで時々していきたいと思います。

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