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消えていなくなりたいと思っていた日々を振り返る(長文になりました)

20代の頃、いつも胸になにか欠如したような、穴があいたような虚しさを感じていた。
自分でもその正体がよくわからず。

けれどそれはきっと、自分のことが信用できないとか好きになれないとか、失望しているとか、そうした足元から揺らぐ感覚だったのかなと思う。

笑ったり遊んだりしながらも、ふと、別に明日消えていなくなってもかまわないなぁという考えが浮かんでしまう日々。

自ら死を選ぶ、とまでは全く思わない。
苦しそうだし怖いし、そこまでしたいなんて思わない。

ただ、苦しみもなく、溶けて水になって消えられたら楽なんじゃないか、と、ぼんやり考えていた。

その頃は、「自己実現」とかいう言葉をよく耳にした。

それが当時意味していたことは、
自分のやりたいことや目標に向かって邁進し他者から見てわかりやすい形でそれを実現すること
といったニュアンスで理解されていたように記憶している。
この言葉はそれなりに私をしめつけることになる。

仕事でそれをするんだ、と意気込んでいた学生時代。

けれど、私の体力や気力は当時のハードワークの前に挫かれた。

やりたい、こうなろうと考えていたことが目の前から消えて、どうしたらいいのかわからなくなって焦った。

まだ回復していないうちから焦りすぎて、短い仕事をいくつか繰り返してフラフラしていた時期もある。

おかしい、本当は私はこんな体力や気力の弱い人間じゃないはず。
私は全然がんばれない、なんて意志の弱く情けない人間だろう、と自分にがっかりする毎日。

今考えれば、私はとてもとてもがんばっていた。私はすごく真面目だった。

でも、遊ぶことや寝ることダラダラすることが大好きだし体力はそんなにないし、場の空気を感じすぎていつもバランスを取ろうとしすぎるからすぐヘトヘトになる。

それなのに、がんばりが足りない足りないと自分にムチを打ち続けていたんだ。自分の性質がわかっていなかった。

20代の終わり近いころ、ひとつの会社に転職し、そこで腰を据えてがんばる覚悟をした。
仕事はとても充実し、いろいろなことをさせてもらい任せてもらえるから、とても勉強になったしできることが増えた。
ほんの少しの自信がついたけれど、私にはまだ穴が開いていた。
ヘトヘトで、消えていなくなってもいいんじゃないかと、まだ考えて。

日々一生懸命やっていたのに、まだ足りないんじゃないか、まだがんばれていないんじゃないか、と自分を追い込んで苦しんでいた。

なんでこんなにずっと苦しくて生きづらいのか…
楽になりたくて、いろんな本を読み始める。
自己啓発本もあればスピリチュアルっぽいものもあり、心理学やオーガニックな暮らしの本まで。

だいたいみな同じことを言うのです。
自分のことを好きになりなさい、大事にしなさい。
自分の幸せを許可してあげなさい。
自分も他人も許してあげなさい。

はぁ?
…どうすればそれができるのか、まったくわからなかった。
自分のなかに、そんな考えを持ったことがなかった。

けれど私はまぁまぁ素直で、そういうもんなのか、と、とりあえず捉えて置いておくことはできた。
めげずにまた本を読んでいくと、また言われる。
みんなが一様に言うのだから、そうなのかなぁ、と洗脳され始める私。
取り入れてもよいかな、と感じられるアドバイスだけは取り入れて、自分のマイナス思考の癖の把握などは地道にしていった。

ほんの少しずつ、私は変わり始めた。
自分のマイナス思考が必ずしも実現するわけじゃないことを知り。
他者の気になる行動は、必ずしも私を非難したり傷つけようとしているわけじゃないことを知った。
他者にもいろいろな人がいて、いろんなことに気付かないだけで悪気がない人もいる。
世界は、ほんの少しずつ生きやすい場所になった。

最も私にとって大きかったことは、ついに「自分を許す」に着手できたこと。

保育士になって少し経ったころ、また「できない」自分のことが許せない許せないと苦しんでいた。
あれ、「自分のことが許せない」のか、私は。
それまで明確に言葉で意識したことはなかった。
でもその時は、胸の中にポーンと浮かぶのを感じた。

私はずーーーーっと、自分のことが許せなかったのか。
そりゃ、しんどいよなぁ……
なぜか、冷静にそう感じた。

もう、許してもいいんじゃないかな。
自分くらい自分の味方じゃないと、それはしんどいよな。
ずっとがんばってきたって、そろそろ認めてもいいんじゃないかな。
自分のことを許すって、決めよう。決めた。

なぜかそのときは素直にそう思えた。
ウソみたいだけど、信じてもらえないかもしれないけど、その日からどんどん自分の気持ちが楽になっていくのを感じた。

自分を許せるようになることは、他者に寛容でいられることにもつながっていった。
それまで自分が「寛容」と感じてしていたことは、私が我慢しているだけだったらしい。
他者に寛容でいられるようになると、不思議と、周りも穏やかで優しい雰囲気になる。
「消えていなくなりたい」と思うことは、極端に減った。

今でも、自分に厳しくなってキューッとなることもなくはない。
けれど、あ、もうちょっと適当でいいんだ、と思い出す。

これがみんなに当てはまることなのかは知らない。
もっと苦しい事情を抱える方々もいらっしゃるだろう。
別にアドバイスしたいわけじゃない。
私のここまでの体験談を、まとめて振り返ってみたものです。

なんで急に振り返る気持ちになったかというと、土曜日の『マツコ会議』の森山直太朗さん後編を見たから。
明日死ぬとしたら、なにをするか?についての話を聞きながら、消えたいと感じていた日々のことを思い出したから。

今の私なら、明日死ぬとしたらなにをするかな?

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