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運が悪いと落ち込むか、厄落としだと喜ぶか

先日の仕事中、園庭で遊んでいたときに首筋の後ろに軽い衝撃を感じました。
おや……?と首筋に触れて見ると、手には謎の黒い粘液。
これはたぶん……鳥のフン、かな?

内心は叫びたい気持ちになりましたが、平静を装いながら濡らしたティッシュでそっと拭き取り手を洗い、なに食わぬ顔ですぐに戻りました。
さらに首筋を消毒。
仕事の後に着ていたTシャツを見ると、黒いシミがついていたので捨てました。
直撃を受けたのは初めてのこと。
なんかちょっと…ショックだぞ、おい。

その後心の整理がついたので、この話を翌日の休憩中に笑い話にしました。
するとある職員さんは、運が悪かったわねぇと苦笑い。
また別の職員さんは、自分もフンされたことあるけど肌には当たったことないわ~と笑いつつ、「これでウンがつきましたね」とニヤリ。

あぁそれがいい、その考えでいきましょう、採用!とみんなで笑いました。

そうなの。
なにかガッカリする物事が起きたときにどう捉えるかで、その後のいろんなことが変わる気がします。

フンが直撃するなんて私ってばなんて……、と落ち込むことも簡単にできますが、それでは精神衛生上あまりよろしくない。
つまんない時間が増えるだけ。
それよりも、私これでウンがついたんだぜフゥーーー!!と思えるほうが人生は楽しい。
なんかそのほうが、本当に運がよくなる気がする。しらんけど。

つい先日、日傘の柄の部分だけ紛失したんですけど。
これもまた、厄落としかなにかだと思っています。
なんか笑える出来事だし。
こうした小さなガッカリの積み重ねで大きな厄災を避けられているのです、やったね。

柄だけ購入できないかなと思い、見当をつけて訪れたお店がその日に限ってお休みだったんですけど、これもまた厄落としだから。
めぐりめぐってラッキーだからね。
いいことが起こる前兆かもしれない。
ほんとだもん。

自分がどう捉えるかが、世界をつくるのだ。

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