年始考①
今年は、一日から痛ましい出来事ばかりだったので、正月という気分はまるでない。
余震もあったので、家を空けないほうがいい気がしていたから、基本、家にいた。
まあ、これと言ってすることもないので(笑)、取り止めなく、いくつかの物事を考えてみようと思った。今回はその一つをnoteしてみよう。
さて、年末に、印象に残った記事が二つあった。
世の中に素晴らしい先人がいることがありがたい。
「お金」のことを考えてみた。
“お金を手にする”、って意味の日本語には、
お金を儲ける
というのと、
お金を稼ぐ
というのがあるだろう。
だが僕は、どちらの言葉も好きではない。
僕が漠然と思うお金の
「得(え)」かた
と違っているからだ。
だが、本命を表す言葉が、どうしても見つからない。
しょうがないので僕は、「儲ける」と「稼ぐ」の辞書的意味を調べてみた。
結論を言うと、そのどちらも、やはり僕の思う「お金の得(え)かた」ではなかったです。
「儲」とは跡取りの意味、「稼」とは収穫の意味。・・と言うことは、言葉の意味自体が変質してしまっていると同時に、この国には、僕の思うお金の得かたを表す
言葉自体が存在しない
ことになる。
あれこれ思考を巡らせてみたのだが、結局、一番“近い”言葉は、
お金を授かる
であった。
これが正しいのかはわからない。
大きな額を手に入れようと思えば、よくない手法を取るしかない。それはパー券のニュースを見ていればよく分かる。
それでもお金は入ってくる、と言うところが、危険なところなのだ。
だから今の世の中では、意識的にどちらを選ぶかを決めなくてはならない。よくない道を選ばないことは、まさしく「狭き門」をくぐることなのだと思う。
ただそのことで、自分の夢とかやりたいことを諦めるのか?というところに人は悩む。
もし、NESARA GESARAなるものが本当に来たら、この「よくない手法」を選ぶことは物理的に不可能になる。僕(達)は別に構わないが、世の中は相当なパニックになるだろう。
何もドンパチやることだけが戦争ではない。
この国はすでに戦争状態にある。
そんな気がしている。
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