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他人を理解することはできない。

こんにちは、
本日も「魂の叫び」のお時間がやってまいりました
(※毎週水曜日更新)

このnoteは未来の自分にあてて
今の自分の思いを書き綴るというものです
(note内の「お前」は未来の自分を指します)

第九回のタイトルは
『他人を理解することはできない。 』
です。

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お前は他人理解することはできない

同じものを見たり聞いたりした時、
他人と同じ感想を持ったとしても
そこには多少の誤差が生まれる

例えば、同じ「キレイ」という感想でも
どのような「キレイ」か、
どれくらい「キレイ」か、
「キレイ」には誤差があるだろう。

他人が同じ感想を持ったとしても
お前のそれとは違うかもしれない

それでも
「自分も同じように思うから
他人の感想は自分のそれと同じだろう。」
他人の気持ちを理解するとはその程度のことだ。
完全に理解したとは言い難い

なぜそのようになるかと言えば
同じ人間ではないからだ。

どのような人生を歩むかで
生まれる感性も変わる
同じものを見ても感じることは変わる、
だから他人が何を思うかを理解することはできないのだ。


しかしそれは他人からみたお前も同じだ。
他人にとってのお前は他人である。

つまりお前が他人に理解されることもない

こうしてみると当然のことのように思える。
お前の考えを一番理解しているのはお前だ。


そのような中で意思の疎通を図ること
難しいということは言うまでもないだろう。

何を考え、何を思うかを
伝えることは非常に難しい。

それなのに一言二言伝えただけ理解されると思いこみ
理解してもらえなければ相手の理解力のせいにする
それがおかしいとは思わないのだろうか。

もちろん相手によって理解する速さは異なる。
同じことを伝えても人によっては理解されないこともある。

しかし大前提として、
相手は他人だ
お前の考えや思いを知る由もない

それにお前を理解して何になるのか。
そもそもどうでもいい他人だ。
理解したいとも思わないだろう。


他人を理解することはできない。
それは他人から見たお前も同じだ。
違う人間なのだから当たり前のことだろう。

しかしそのことを忘れてはいないか。

他人はお前だ。

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