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正しいし、間違ってもいる。

こんにちは、
本日も「魂の叫び」のお時間がやってまいりました
(※毎週水曜日更新)

このnoteは未来の自分にあてて
今の自分の思いを書き綴るというものです
(note内の「お前」は未来の自分を指します)

第十三回のタイトルは
『正しいし、間違ってもいる。 』
です。

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間違いと知りながら
間違いを続ける人は少ない。

ほとんどのひとが常に
正しいと思う道を選択するはずだ。

それはお前も例外ではないだろう。

自分にとって最高の結果
もたらすように決断する。

もちろん状況の違いによって
可能な選択の幅は異なるし、
最大限の力を発揮できない時もある。

それでもその中で、
可能な限り最高の結果を求めることは
最善の選択をしていると言えるはずだ。


その選択は本当に正しいのだろうか。
間違っていないのだろうか。

その時は正しいと言える。
できる限りではあるものの、
正しいと思う選択をしているからだ。

しかし
間違っていると言える時もある。

例えば自分のした選択が
不利益をもたらした時だ。


お前が飲料水を買うとしよう。
お前はできる限り安いものを買いたい。
そうであるならばコンビニで買うよりも
スーパーで買うはずだ。
そして何気なくスーパーで飲料水を購入した。

その帰り道に風邪薬を買おうとして
ドラッグストアに寄った。
すると先ほど購入した飲料水と同じものが
スーパーよりも安く売っていた。

お前は落胆するはずだ。
自分の選択が間違っていると気づいたからである。


以上のように、
正しいと言える選択は
間違っていると言えることもある

だが以上の例で考えてみて欲しい。
スーパーよりも安い飲料水が
ドラッグストアにあるということを、
ドラッグストアに行く前に知りえただろうか

答えは否である。
終わったあとになれば何とでも言えるが、
その時には分かるはずがない。
分かっていれば選択も変わるだろう。

だとすれば後に間違っていたと知ろうが
気にする必要はない。

飲料水の例は極端かもしれないが、
自分のした選択に落胆している時の多くは
飲料水が他の何かに代わっているだけである。


その時は正しいと思う選択でも
間違っている可能性はある

しかしそれが間違っていると、
誰が知っているのだろうか

自分が正しいと思うなら
それは正しかったのではないか

そして自分が正しいと、
いちばん思うことができるのは自分だし
思っているから行動しているのだろう。

後から間違っていたと知っても
どうでもいい話だ。

間違うことを恐れるな。

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