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(SM短話)鏡と体温

その部屋には壁一面に大きな鏡が据えられていた。



一瞬だけバレリーナやダンサーが踊りの練習をする姿が頭をよぎったが、そのような明るく華やかな役割を担うものではない。


その鏡が写していたのは、部屋のサイズに不似合いの大ぶりなシャンデリア、サイケな柄の派手派手しい壁紙と糊で突っ張ったシーツがかけられたキングサイズのベッド。

503号室。
薄暗いラブホテルの一室に備え付けられた鏡だった。

鏡には鈍く光る銀色の安っぽいフレームが申し訳程度についており、フレームの端には数箇所、黒い錆が浮かんでいた。
いつかの客が触れてついた指の脂を清掃係が拭き忘れたのだろう。

その大きな鏡に切り取られた2人。
まるで奇妙な舞台の上に急遽立つことになった演者のように、男は少し落ち着かない様子で私に首輪をつけられていた。


目の覚めるような鮮やかな青色。
中型犬用にペットショップで売っていた首輪だ。
私が見立ててやり、男はリードと首輪をかごに入れてレジに並んだ。
自分につけられる首輪を購入する気持ちはどんなものなのだろう。


首輪についた金具にリードをつけながら、ネームプレートも買えば良かったと思った。
男の名前を書いた札がプラプラと首元で揺れたらより一層、飼い犬らしくなったはずだ。

リードを引きながら広めの室内を歩くと、四つん這いになった男が床に膝をつきながらヨタヨタと付き従う。
急に向きを変えると首にテンションをかけられまいと慌てて動く姿に目を細めた。
犬も男も同じ反応をするのか。

散歩と称してひとしきり固い床の上を這わせた後、鏡の真正面にあるベッドに男を座らせた。
首輪をつけて膝立ちになった全裸の男と、その背後に立ち、普段着でリードを引く私。
鏡によって見せつけられたその光景に男の陰茎はすでに真上に反り返っていた。

少しかがんで男の背中に密着し、耳元を舌で舐め回して水音を送り込む。

時折、卑猥な言葉や羞恥を誘う言葉をぎりぎり聞き取れるくらいの声で囁いてやるたび、男は身をよじり、子犬が鼻を鳴らすような甘えた声が口から漏れた。


同時に大量のローションを纏わせた指で男の昂りを弄んでいった。
盛り上がった血管の枝分かれを一筋ずつ辿るように指を滑らせては、先端の柔らかく弾力のある部分を手のひらで執拗に撫で回す。
手の中で湿った淫靡な音が鳴るごとに男の感覚が敏感になっていくのが伝わってきた。

さすがにつらくなってきたのか、男はうわ言のような声にならない嬌声をあげ始めた。
必死で私から与えられる刺激に耐えているようだった。
度を超えた快感を連続させ、痛みのない苦しみへと追いやっていく。


思い通りに跳ねる男の従順さに気をよくして、手の動きをより激しくすると室内に響く声は一段と大きくなった。
一人では決して味わえない感覚だろう。


ふと気づくと、ゴロゴロと低い音が近くで鳴っていた。
雷だ。
部屋に入る前は快晴でひどく暑かったので、一雨来るのかもしれない。

男の背中と私の胸の間にはじっとりとした汗が滲み始めた。
部屋に入った時にはやや冷たいと感じたエアコンの風は、今となっては少しも感じられなかった。
部屋の中の異常な湿気は雨雲が連れてきたものなのか、それとも互いの体の熱から生まれたものなのか。


正面の鏡を見る。


鏡の中の男はこれ以上ないほどだらしない顔をし、私は見たことがないくらい破顔していた。
どちらもとても人様に見せられたものではない。

「与える」


「受け取る」


SMはシンプルな行為だ。


与える側と受け取る側のその境目は明確で、互いの役割を侵さない。
体温や湿度をどれだけ共有しても尚、決して一体にはならない。


絶対的に異なる立ち位置を保ちながら限界まで体も心も近付き、そして隔たりがあることを認識し合う。
そこに悦びと説明のつかない心地よさを見出すのだ。

鏡は馬鹿正直に私と男の行為そのものを写し続けている。
男の意識はとっくに彼方側の世界へ引きずりこまれているだろう。
私は鏡によって反転したその一部始終を目に焼き付けるように観察する。

シーツに食い込む白くなった膝

クリップが揺れる変形した乳首

かっちりと首に嵌った青い首輪

上気して赤く染まりきった頬

歪みきった二つの眉

締まりなく開いた口元


どれも満足な仕上がりだ。
今日の行為は随分と男に嵌ったらしい。


男の後頭部にコツンと自分の額を当てると、私の視界には、小刻みに震える背中とひどく頼りない子どものような耳たぶがあった。


男の首に舌を這わせる。
いつになく優しく丁寧に。



男の体が一際大きく跳ね、私の手の中に独特の生温さと律動があった。



私と男は自身の願望を写す鏡のようなものだ。
何かのきっかけで此方と彼方へ別れたのだろう。
今分かっているのは、この先何があろうとも男が私の背中側に回ることはない、ということだけだ。


ぐったりと脱力し、うなだれた男の首輪を外し、役目を終えたリードと共に投げ捨てる。
首輪が擦れて少し赤くなった男の首筋。
噛み跡が残るように強く歯を立てた。


前髪を額に張り付け、汗だくになった鏡の中の自分が、私に向かって名残惜しそうに笑いかけていた。

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