映画の世界から消されていた女性監督 「映画はアリスから始まった BE NATURAL」

あなたは「アリス・ギイ」という女性をご存知ですか?

彼女は映画史上初の女性映画監督で、生涯1000本とも言われる映画を撮影した女性。

わたしはドキュメンタリー映画「映画はアリスから始まった BE NATURAL」(2018年米国映画、パメラ・B・グリーン監督)を見るまで、彼女のことを全く知りませんでした。

映画黎明けに活躍した人物といえば、フランスのリュミエール兄弟が有名ですが、1895年3月に彼らが初めて映画を上映した時、アリス・ギイはその歴史的な場面に立ち会っていたのです。

その時、彼女は22歳でした。

もっとも、彼女のことを知らなかったのはわたしだけではありません。

彼女は1968年に亡くなる前に貴重な回想録を書き溜めていましたが、生前は出版されず、なくなって8年たってようやく出版。

(日本でも「私は銀幕のアリス」というタイトルで翻訳が出版されています)

その少し前から、
「アリス・ギイとは誰? Qui est Alice Guy?」
というドキュメンタリーが作られるなど、少しずつアリスのことが取り上げられるようになります。

でも、このタイトルが示すように、フランスでも、フランスの映画関係者にさえ、彼女のことはほとんど知られていなかったのです。

生い立ちは複雑で、彼女はフランス生まれですが、父がチリで書店と出版社を経営しており、母も同行していたので、小さい頃はスイスで祖母とともに暮らします。

その後チリに渡り数年を過ごしますが、フランスに戻ります。 

回想録にはチリへ向かう船旅の様子やチリでの子供時代のことも描かれているのですが生き生きとした描写に驚かされます。

父が早くに亡くなり、兄姉も家を出ていたため、彼女は母親を助けるために17歳でタイピングと速記を学び、ニスの会社で秘書として働き始めます。

当時のフランスではまだ社会に出て働く女性が少なく、一般的ではありませんでした。

でも、最先端技術を学んで秘書として働くことは、女性として恥ずかしくない、尊敬される働き方だったのです。

そんな彼女は21歳の時に写真の機材会社に転職し、聡明さや働きぶりを認められるように。 

社長室の中に席をおいて働くうちにリュミエール兄弟や小説家のエミール・ゾラ、エッフェル塔の設計で有名なエッフェル氏の家族など、人脈も広げます。 

そして1895年3月、アリスは上司とともにリュミエール兄弟からあるパーティーに招待されます。

パーティー会場の壁には真っ白なシーツがかけられていて、幻灯機がそこに映し出したのはリュミエール兄弟の工場の様子でした。

工場の中から大勢の人たちが溢れ出る様子など、今では映画の古典となっている映像が次々映し出されたのです。

世界初の公式の有料上映よりも数ヶ月前に初めて映画が公開されたその瞬間にアリスは立ち会っていたのです。

ただし、その当時の映画はあくまでも記録用のもので、まだ誰も映画が今のような産業、そしてアートに成長するとは思っていませんでした。

まだ22歳だったアリス・ギイは、もちろん映画作りの経験はありませんでしたが、書店・出版業を営んでいた父の娘だった彼女は読書家でもあり、アマチュア演劇の経験もありました。

そのため、彼女は
「記録するだけの映像は退屈。映画で物語を作ったらどうかしら?」
と考えて、
「寸劇を書いて友達と上演してみたい」
と上司に掛け合います。

もし映画が産業としてあんなに発展するとわかっていたら上司は許可をしなかったかもしれませんが、
「秘書としての仕事の妨げにならないこと」
という条件付きで許可を得た彼女は、まさに手探りで映画作りを始めて行くことになるのです。

長くなりましたので、続きは次回に。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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