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100年の時を超えて 「映画はアリスから始まった BE NATURAL」

わたしがドキュメンタリー映画
「映画はアリスから始まった BE NATURAL」
(2018年米国映画、パメラ・B・グリーン監督)
を見に行った日は、上映後に社会学者で東大名誉教授の上野千鶴子先生のトークショーが行われました。

今回はその内容をご紹介します。

アリス・ギイだけでなく、歴史から消された女性たちはたくさんいました。

それは、以前の社会では女性が女性の名前で仕事をすることが当たり前に認められてはいなかったから。

だからこそジョルジュ・サンドは実際には女性だったにも関わらず男性名で小説を発表していたのです。

モーツァルトには姉がいましたが、彼女の作品は弟の名前で流通しています。

また、ノーベル賞の設立者にも女性が関わっていたのですが、そのことはほとんど知られておらず、日本の有名企業でも創業時には女性が関わっていたのに、いざ事業が大きくなり、大きな利益が出ると、その女性が追い出され、トップの座に残ったのは男性ばかり、という実例があったとのこと。
(上野先生は実際に当事者の方からお話を伺ったそうです)

こういったことは、映画がまだ大きな産業になると誰も予想していなかった頃はまだ20代前半だったアリス・ギイが自由に映画製作ができたのに、次第に映画が巨大な産業になり、大きな富を生むようになると、アリスが徐々に中心から排除されていったのと同じ図式であると上野先生は指摘されました。

映画の中でもアリス・ギイが過去に尽力した会社の記録でもその他の映画関係の書籍でも名前を消されていたり、彼女の作品が別の男性監督の名前になっていて映画関係者の中でもアリスが忘れられていたことが描かれています。

アリスの本を読むと、映画製作の中でも嫌がらせを受けることもあり、夫とともに設立した映画会社でも彼女が重要会議に出席することを夫が嫌がったことなどが書かれています。

今では男性監督が圧倒的に多いわけですが、上野先生はここ数年で世界的にも広まった「Me Too運動」や日本映画界・韓国映画界でも男性監督によるセクハラの告発があったことにも触れました。

監督は権力を持つ存在だからこそ、
「Noと言えない状況でNoと言えない性的接近をされた」
女性たちは抵抗したくてもできなかったのです。 

女性の中にももちろん映画監督を目指す方たちもいるのですが、容易なことではありません。

かつて岩波ホールの総支配人だった高野悦子さんも、元々は映画監督を目指していましたが、無理だと言われ、映画化を企画した作品の監督を他者と交代させられたこともあり、映画監督の道を諦めたとのこと。

また、10億円以上の興行収入をあげられる映画は3%程度。

映画界全体の女性監督は11%程度だそうですが、ドキュメンタリー映画に集中しているのだとか。

その理由は、「低予算で作れるから」。

「ユキエ」「折り梅」「レオニー」などを監督した映画監督の松井久子さんは
「長い映画を作るのにはお金かかるから」
とドキュメンタリー映画を撮影するようになり、のちには
「映画は人とお金がかかる共同プロジェクトだが小説は個人でできる」
と小説を書き始めたのだそうです。 

アリス・ギイが映画監督として活躍した1900年代初頭から今回のドキュメンタリーが作られた2010年代までには、約100年の時間が流れています。

100年前にアリス・ギイが映画を撮影していた頃は映画が当時の最先端の技術でした。

そして、今回の映画でグリーン監督は現在の最先端技術ICT(Information and Communication Technology, 情報通信技術)を駆使しています。

アリスの子孫や関係者へのインタビューもオンラインで行い、発見されたアリスのデータや映像も最先端の技術で蘇らせていきます。

映画自体の切り替え・テンポもとても早く、
「100年の間の技術革新を経て現在の最新技術が100年前に最新技術の映画を撮影していたアリス・ギイを蘇らせた」
ということを上野先生が話していらしたのがとても印象的でした。

なお、アリス・ギイの自伝は1954年にはほぼ完成できていて、アリス自身も出版社に原稿を持ち込んでいたのですが、生前は出版されることはありませんでした。

彼女が1968年に亡くなった後、その8年後になってようやく出版されたのです。

日本では2001年に
「私は銀幕のアリス 映画草世記の女性監督アリス・ギイの自伝」
として出版されています。

その中でアリス自身が「映画製作における女性の地位」について書き残した文章が紹介されています。

上野先生も触れた箇所を、転記してご紹介します。

「私が長年不思議でならないのは、活動写真の制作者という名声と富を築く絶好の機会が目の前にあるのに、多くの女性がその機会を掴もうとしないことだ。

 男性より女性の方が恵まれている才能を存分に発揮できる芸術、より完成度の高い作品を作ることができる芸術は、映画をおいてほかにないというのに。 

 過去何百年ものあいだ男たちが独占してきた分野で女性が仕事をしようとするとき、女性であることへの頑迷な差別と偏見が、いまなお彼女たちの成功への道を阻んでいる。」

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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