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#02 そこに「現実があるっぽい」と見間違うこと -ストグラ観測日記-

現実を逃げたいものとしてでなく、笑顔で健やかに過ごしたいものにするために…。

現実とは、一人ひとりが自身のフレームワークで「事実」を認識し「解釈」して統合したもの。だから、一人ひとりに独自の現実があると思ってます。みんな同じものを現実とは思ってないし、同じ現実を誰一人として見ていない。

ですので、あくまで「他人の思う現実」に対して、我々は不可侵なので結局は解読不明ではあるのですが、もしかすると「現実があるっぽい」とみんなが共感しあえる領域にはたどり着けるのではないか、ということを「ストグラ」を見ながら考えたわけです。

「現実があるっぽい、と見間違う(勘違い)為には絶対に必要な要素だよね」みたいな加減のやつ。

システム要件的な観点で…

1:音(会話や環境音など)が素晴らしい

これはグラセフのシステムが素晴らしいんだと思うんですが(あんまり詳しくない、もしかするとストグラでは何か技術を加えている..?)自分と相手の距離に応じて聞こえてくる音量が変わったり、大人数での会話の時にある、あの「ガヤガヤ感」が再現されてて、これで一気に「現実があるっぽく」なります(コロナ禍でのウェブ会議でだいぶ認識されましたよね)

また遠くから聞こえるサイレンや、乗車時に聞こえる(感じる)ロードノイズなど、とても自然です。環境音にこだわると一気に「現実があるっぽく」感じます。理由はそこに3D的な空間が立ち現れるからです。視覚と聴覚の両面で空間を感じれると途端に埋没できます。

反対に人が2Dに接するときには、俯瞰で客観的な態度をとって体験します。そういった態度でのぞめることで「他人の現実」や「他人の物語」をある一定の距離をもって体験できるのですが、3Dになると一気に主観の物語になりやすいです。

アニメを作ってきた自身の観点で更にこの点を話すと、こういったことは話すのは簡単だけど実際にそれを再現することの大変さを知っているので、このこだわりにはものすごいものを感じます。だって、それをやろうと思ってしっかりとした時間と技術を投じて実施しないと、ゲームやアニメの世界ではそこには何も立ち現れないのですから。

2:役割があることが素晴らしい

これはまた別の日記でも書いていく要素なんですが、この街では「職業」という社会的役割を通じたロールプレイが出来ます。ストグラを見て改めて気づいたのは、役割があるってことがめちゃくちゃ大事だということ。我々は大抵、当たり前のように生まれながらに何かしらの役割があるから体感しづらいですが、「職業」は現実を感じるためのかなり重要な要素です。

ロスサントスには、警察や救急隊、市議会議員などの公務員、カフェやバーなどの飲食店系、メカニックやカーディラーなどの車両系、その他、木こりや記者などの職業や、この街でのストーリーを語るには欠かせないギャングやエンターテイナーなどの職業があります。

(もちろん車の運転には免許が必要。ということは自動車教習をする免許センターの先生もいます)

「役割」はその場所は共同体に自分がいてもいいという安心と、その「役割」を担当することで共同体をワークさせようという意思が生まれ、一人の人間の人生が色濃くなっていきます。これも音と同様で、そういったシステムを細かく設計して実装しないと立ち現れないものなので、並々ならぬこだわりを感じます。もちろんそれをしっかりと実施していく住民の力もとても大きいです。

つい先日、第二期市議会議員を決める選挙が行われてました。上記の動画はロスサントスの中心である「レギオン駐車場」に貼られていた選挙ポスターを見て語っているマクドナルドさんの動画です。

・ギャング増加とインフレ対策
・納税義務に関する問題提起
・町の活性化と住民の利便性向上
・飲食業界の活性化策を提案
・車関係のイベントについて考察
・ガイドライン作成と書籍の導入
・市議会での役割についての議論

などの公約や論点が候補者からは提示されていました。社会が動いています。

3:距離を感じることが素晴らしい

ロスサントスは結構広い街です。普通にゲームで「移動」を考えるとワープ的な、さもゲームに有りそうな要素を入れて合理化を図りたい所ですが、それが無いことも「現実があるっぽい」ことに寄与します。

「合理的であること」はある程度上手く現実をサバイブしていく肝かと思える要素ですが、「合理的でないこと」で現実が解像度高く立ち現れるということに一種の皮肉を感じます・

そこには街があり、遠い場所に移動するためにはそれ相応の時間がかかること、時間経過という体感を通じて、空間という認識をより色濃くできます。また、その移動時に会話や発見が生まれることも「現実っぽい」ですよね。

街中の都会の風景だけでなく、北に移動すると海と山が広がり、広大な自然を感じる事ができます。このように理屈や合理性ではない要素も現実を感じる為に大事な要素であることがわかると思います。


ここまでは、音、役割、距離、という要素が、システム側でうまく取り込まれている現実を色濃くしていることを書いてきましたが、こういったドライな要素だけは「現実と見間違うこと」には足りません。そこには人間ならではのエモーショナルでウェットな感情が動くような要素や、必ずしも正論だけでは片付かない要素が必要です。

システム面で、そういった感情を動かすような仕組みのお膳立てはできました。そしてここからがロールプレイの真髄で、住民たちが作っていく「歴史と物語」の登場です。

今後も少しずつこの「歴史と物語」について書いていこうと思ってますが、まずここで一つだけ、最近、僕がもらい泣きした、とある「歴史と物語」の一つの終わりと始まりを置いておきます。

エモい観点で…

(ここで文脈を説明しても無粋だし、伝わらない)

その人にとっての街や人々、それぞれの現実がそこにある。

そこにいる人々の思いや行動によって、街や時間に歴史が築かれていく。その歴史に、更に新たな人たちが思いを寄せて積み上げていく。そして、それが一つの場所に投影されていき、そして、その場所がさらに新たな人に受け継がれていく。

文脈が分からないと理解できないのだと思うけど「そういうものだよ、人生は」って感じだし、そういう複雑さがまさに「現実があるっぽく」感じれる要素です。

文脈が分かればより深く、その歴史や思いの「意味内容」が理解できて共感性が高まりますが、仮に「意味内容」が分からなくても、その人がどのような態度でどのような声色で言葉が発するかという「表現」で、充分に思いを察することができるはずです。(これはアニメという表現を用いて物語を作っている立場として、忘れてはならないことだなと思ってます)

その人達にとっては、確かにそこに強い歴史や思いが生まれていて、現実と人生が立ち現れてるんだということ。

それにしてもストグラにおいて「見てる視点が限定的じゃ…?」と自分で自分に突っ込見たくなるのですが、狭い視点であることもまた人生です。次回は「強烈なロールプレイに引っ張られて人は変わっていく」というようなことについて書いてみたいと思います。

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