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金魚

 彩とりどりの蝶や花もようの袖を揺らしながら、浴衣の娘らがはな緒を気にしている。火のともった灯籠に沿って並ぶ夜店の灯りが、奥の社へと続く。
 村の神社の宵宮祭である。
 金魚すくいの屋台にむらがる村の子供らにまじって、十前後の女の子が水桶に戯れる金魚を睨んでいる。
 その隣で、二つくらい歳下の男の子が、小指の先ほどの金魚を器用な手つきですくいあげては、女の子を見てひやかしている。
「都会には金魚すくいなんかあらへんのやろ」
 女の子は色白の頬をぱっと染めて、
「ばかにしないで。お父さまが、何度も連れていってくださったわ。いつもはもっと上手にやってよ」
「また破れとる」
 男の子がけらけら笑った。
 女の子は口悔しそうに睨み返しながら、「かずおちゃんが傍でうるさくするから。わたしひとりなら、金魚だっておとなしくすくわれてくれるわよ」
 村の子供らが、げらげら笑った。
 女の子は精一杯のすまし顔で、
「おじさあん。もう一回」
 露店のおやじが煙管を吹かしながら、女の子に紙の輪を渡した。
 裸電球の灯りに照らされた女の子の、肩上げから伸びた腕の影に驚いて、赤い魚影が放射状に広がっていく。
 女の子は美しい眉を寄せて男の子をきっと睨みつけると、
「今度は上手くやるわ。見てなさい」
「何べんやっても一緒や」
「なんですって」
「十一にもなって、まだ泳がれへんくせに」
「云ったわね」
 女の子が細い腕で肩を小突こうとしたのをひょいとよけた男の子は、はずみですくいかけていた金魚に紙を破られてしまった。
「なにすんねん」
 かんしゃくをおこした男の子に、女の子が突き押された。
「ひどいわ」
 男の子とおそろいの女の子の、紺がすりの袖が、水桶に落ちて濡れた。
「かずおちゃんなんて、嫌い」
 女の子が目に涙をためて云った。
「こらっ、ぼうず」
 店のおやじの剣幕に驚いて、男の子は固まってしまった。
「女の子泣かしたらあかんど」
 おやじは立ちあがって腰掛けに煙管を置くと、大きな掌で女の子の浴衣の袖を持ち上げてやった。
「泣かんかてええ」
 引っ張り出してきた手拭いを袂にあててやり、
「すぐにかわくからな。それまでに、おっさんが上手いことすくえるよう教えたる」
 子供らは女の子と男の子の様子を、代わるがわるにうかがっている。 顔を見合わせて、にやにやしているものもある。
 男の子はばつが悪いのか、
「なんやねん。女なんか、なんでも泣いたらええ思とる」
 そう云い棄てて、浴衣着の列のほうへ駆けていった。
 どこからか、打ち上げ花火のどおん、という音が聞こえてきた。
「嬢ちゃん、東京から来たんか?」
「そうよ。いとこの家に泊まりに来てるの」
と、泣き声とは不つり合いな言い方で女の子が応えた。
「泣かんかてええ」
「あら。あたし、泣いてなんかいないわ」
 おやじは笑ってうなずくと、
「おっさんが上手いことすくえるよう教えたる。ただやで。ええか、こないして持つんや。親指と人差指、輪にあてて」
 おやじは顔の前に大きな掌を見せて、
「残った指と掌を使うて、金ぐしのとこ、軽う握ってみ」
 女の子はおやじに云われたとおりに、ちいさな白い掌に紙の輪を握った。
「水面の、上のほうで泳いでるやつ狙うて」
 おやじの右手がふわりと翻ると、水に濡れて半透明になった白い紙の上で、赤い金魚が横向きにぷちぷちと震え、そのまま水に浮かべた皿のなかに滑りおちた。
「嬢ちゃんもやってみ」
 女の子はまるい瞳をさらにまるくして、水面を泳ぐ金魚に狙いをさだめた。
「せや。肩の力、抜いて」
「あ」
 女の子の紙の輪に、たちまち穴があいた。
「だめ」
口悔しそうに紙の破れ目を見つめて、
「ほんとは、はじめてなの」
 おやじは女の子の顔を見返した。
「お父さまは忙しいから、お祭りに連れ出してなんかくださらない」
「そうなんか」
 女の子はうなずいた。
「あたしが生まれてすぐに、お母さんは死んだの」
 女の子の言葉を、おやじは待った。
「今年の夏休みは、かずおちゃんのおばさんが呼んでくださったから、こうしてお祭りにも来られたのよ。おそろいの浴衣も着せてくださった。これ、ありがとう」
と、女の子は手拭いをおやじに差しだすと、
「もう大丈夫」
 おやじは笑ってうなずいた。
「もう一ぺんやってみるか」
「でも」
「おっさんのおごりやから。心配せんでもええ」
 女の子は男の子の走っていったほうを気にしている。
「ぼうずが心配なんか」
 女の子はうなずいた。
 おやじは笑いながら、
「惚れてんか」
「そんなのじゃあないわ」と、女の子は頬をぽっと赤く染めて、
「おばさんに、かずおちゃんの面倒をみるように頼まれたから」
 そっぽを向いた横顔に、おやじはやさしい調子で、
「ここで金魚すくって待っとったらええやないか。じきに戻ってきよるて」
「先におばさん家に帰ってると思うわ」と、女の子は云った。
「あたしが帰らないと、おばさんに心配かけてしまうの」
 おやじはうなずいた。
「ほな、嬢ちゃん。金魚、持って帰り。ただやで」
 女の子は笑った。
「一匹やとさみしい。二匹」
「ありがとう」
 ぴょこんとおじぎをしたおかっぱの、赤いりぼんが揺れた。
「気いつけて帰るんやで」
 いとけない右手に、二匹の金魚がはいった袋をさげた浴衣姿が、一目散に駆け抜けていった。


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