壊れても、なお【ボールペンが壊れる時はいつだ?】
even if it is broken.
先日、仕事で履いているパンツのチャックが壊れた。
ユニクロで購入した黒のテーパードなのですが何処に行くにもさっと履けて、
汚れるのも気にしなくていいので、かなり重宝してました。
チャックは壊れたが流石天下のユニクロ。
生地は丈夫で、チャックさえ取り換えれば、
パンツ自体はまだまだ履けそうです。
そこでふと考えました。
これは壊れているのだろうか?
というより、どこから壊れていると判断すればいいのだろうか?と、
RPGなどのゲームであれば、壊れた道具や使ったアイテムは持ち物から消え去ってしまうが、現実ではそうはいかない。
『もしかしたら使い道があるのかも、、』と思わせておいて、何年も部屋の片隅でコチラを睨んでいる。
いや、そのまま物質が残り続けるのってリスク高すぎじゃね?!!
使えなくなった時点でポイしなければたちまち、物で溢れてしまう。
実際、私の身の回りにも居るのだ。
例えば、
・インク切れのボールペン
→換えのインクを買ったら安くまたつかえるからととっておきがち
※一生買うことはない。
・もう入らなくなったお気に入りの服
※夢見るな、パツパツだぞ
というように、形は残っていても
明らかに使えない、、
コイツらも″壊れてる″とも言えるのではないだろうか。
つまり、そのものから期待する効果が得られなくなった状態こそ″壊れてる″のである。
形が残っていたとしても利用価値が無ければ、そのものとしての役目を終えているのだ。
【case1】
真っ白いセーターにコーヒをこぼしたとしよう。
購入した時はデートや外出用に着ていくお洒落着として利用していたが、みぞおちから裾にかけてついた大きなシミは洗濯しても落ちることはない。
この時点で、自分を着飾るという効果は期待できなくなったので、
お洒落着としての白いセーターは壊れたことになる。
だが、服としての機能性【防寒性、着心地など】は損なわれているわけではないので、
部屋着や作業着として新たな利用価値を見つけることは出来る。
【case2】
とても書き心地のいい高級な絵筆を使っている画家がいるとしよう。
この画家は自分の思い通りに描ける筆をいたく気に入っていたが、毎日絵を書くので週一のペースで絵筆を新しいものと取り替える。
もちろんその絵筆は多少荒れてしまってもそこら辺の廉価品よりはいい代物だ。
しかし、その画家にとっては思い通りの線がかけない時点でその筆の利用価値は無くなっていると言えるだろう。
つまり、
壊れる壊れてない、とはそれを持つ人の
心次第なのであるということだ。
般若心経の中には『空即是色【くうそくぜしき】』という言葉もある。
この世のもの全てには実態がないという考えなのだが、
たとえ壊れてしまったとしても、目の前にあるボールペンがたちまち霧のように消えてしまう訳ではない。
・長さ10センチほど
・材質はプラスチック
・棒状
という特徴の物体が残る。
ただ、このボールペンの存在を消してしまうことも、存在させることも自分の捉え方次第なのだ。
これはボールペン以外にも言える事であり、
自分がやりたかった事や得意な事をできなくなった時、自分の価値は無くなってしまったと感じてしまうだろう。
やりたいことが出来ないという状態は、それを行う機能が無くなっているだけで、
・身長170センチほど
・材質は主にタンパク質
・人型
・甘いものが大好き
自分という物質は残り続ける。
インクの切れたボールペンと同じだ。
文字は書けないが、背中を掻いたり、消しゴムを弾いて遊んだりは出来るだろう。
また、文字が書きたければインクを補充すればいいだけの話だ。←買ったことはない。
同様に、
自分はこれだけしかない!と決めつけずに
新しい価値を模索したり、元気を注入したりして、また目標に向かえればいいのだ。
と自分自身を鼓舞していても、
やりたいことが出来ない、出来ていない状態というのは、自分のことを掠れたボールペンのように感じてしまうのだ。
・インクはどれだけ残ってる?
・そもそも文字は書けても、紙が無ければ何も出来ないではないか?
・果たして今、自分は真っ白な紙の上に立てているのだろうか?
足元に目をやると、誰かが引いた線が自由気ままに引かれていて、
どっちが前なのか皆目検討もつかない。
ぐるぐる回ってもいいか、と今日も無駄にインクを撒き散らす。
ペン先が乾いてしまうのだけはごめんだ。と今日もぐるぐる回る。
ぐるぐる転がる。
転がるロック。
ロケンロー。
前回の記事です。コメント&フォロー宜しくお願いします🙇
サポートして頂いた方には足を向けて寝れません