斬新なアイデアが無いわけではない。
斬新なアイデアのなかから適切なものを選ぶ事が出来ないのだ。
何かいいアイデアはないのかと日々アンテナを張って生きていると
今までにないようなアイデアを出さなければならないという、
一種の焦燥感のようなものに駆り立てられることがある。
自分の中で発想力が試されることは多いと思うのだが、
現実問題、考え出した有用なアイデアとゆうものは
すでに誰かが形にしているものであることが多く
もしこの世になかったことだとしてもそれは誰にも必要とされていないから
形になってないだけなのだと思う。
そんな発想の種というのは誰しもが心の中にしまっておいて
芽を出すことなく腐っていってしまうのではないだろうか。
ということならば、真に必要なことは
斬新なアイデアを生み出すことよりもそのアイデアを必要としている人を
探し出すことなのではないだろうか。
めちゃくちゃ材料に凝った最高の料理が求められることはわかるのだが、
その料理が果たして全ての人が必要としているのかどうかは提供する側が考えなければならないのかも知れない。
何にも考えず駄菓子を貪りたい夜もあるのだ。
もちろん品質がいいに越したことはないと思うのだが、
むしろその陳腐さこそが突き刺さるものもあるのだと思う。
可愛さや拙さを抜き取った役者顔負けの小学生の演劇が果たして見たいのだろうか
と愚にもつかないことを言ってしまっているが、
自分の拙いところを好きだと言ってくれるような人を見つけられたらいいと
思うのである
意味のあってためになる事は他の大人がたくさんやってくれているので
自分は自分がなんかいいなぁと思うことを追求したいと思う
斬新なアイデア、、、、、
難しい、、、、
自分にとって当たり前かのような発想であっても、
斬新だともてはやされることもあるだろう。
その逆も然り。
どこまで行っても評価というのは自分の物差でしかできないのだと知る
例えば、ゲゲゲの鬼太郎を知らなければ
目玉に体が生えているキャラクターはめちゃくちゃ斬新に映る気がする。
当時は斬新だとバズったのだろうか?目玉の親父。
人を驚かせる発想は多くを知ることでしか得られないというのなら
沢山のものを読みまた書いていこうと思います。
【30分終了】
別の記事もどぞ。
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