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箱根神山、駒ヶ岳と箱根神社元宮(もとつみや)

■パワースポット基礎知識 箱根山とは


 箱根山(はこねやま)とは、神奈川県足柄下郡箱根町を中心に、神奈川県と静岡県にまたがる火山の総称です。芦ノ湖をぐるりと囲むこの山々の中で、一番高い山が神体山とされる神山(標高1438m)。

 箱根神社に伝わる3つの縁起のうちのひとつ、『筥根山縁起』によれば、孝昭天皇の時代(約2400年前)、この神山を拝むために、聖占仙人(しょうぜんしょうにん)によって神山の隣に位置する駒ヶ岳山頂に神仙宮を開かれたのが、箱根神社の始まりと言われています。また、仏教伝来以降は、我が国固有の山岳信仰と密教、道教などの習合が進んで、修験道が盛んに行われるようになり、この箱根山は修験者たちの修行の霊場となりました。関東では、日光と並ぶ、行場とされています。

 奈良時代、孝謙天皇の御世には、万巻上人が芦ノ湖畔で修行をしていたところ、僧形の神(法体)、男神(俗体)、女神(女体)の三神が現れたので、これを箱根三所権現として祀るために、湖の畔に里宮を創建しました。この箱根大権現は、関東総鎮守として、多くの人の信仰を集めました。『箱根権現縁起絵巻』は、神さまの本地を語る本地物語で、天竺から日本にやって来て箱根三所権現となったという伝承が記されています。
 長い間、駒ヶ岳には社殿がありませんでしたが、昭和39(1964)年に再建されました。

箱根元宮のご祭神


 元宮のご祭神は、箱根大神と言われていますが、現在、この箱根大神とは、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)の御三神の総称とも言われています。元宮の坐す駒ヶ岳は、元宮から見て北西方向に位置する、箱根大神が依り代とする神山を拝むための場です。

 聖占仙人に続いて、利行丈人、玄利老人らも、神山を天津神籬(あまつひもろぎ)とし、駒ヶ岳を天津磐境(あまついわさか)として祭祀を行ったと伝えられています。天津神籬とは、祭祀のために臨時に設けられた施設、神の依り代のうち樹木などを指すことが一般的は多いようです。一方、磐境とは、神を招くために岩石などによって設けられた祭場を言います。


箱根山の巨石

 神山はその名の通り霊峰としてそこに神が下る依り代であり、その神体山を拝むための祭場が駒ヶ岳であった、ということでしょう。駒ヶ岳には天津磐境とも比定できる巨石がいくつも残されています。注連縄を張ってあるのは馬降石といい、白馬に乗って神様が降臨(こうりん)された岩と伝えられています。石の上には穴がありますが、それは降馬の折の蹄跡であると伝えられ、この穴にたまる水は日照りになっても枯れたことがないという不思議な伝承を持つ岩です。

 また参道の右側には、この山の七名石の一つとされる馬乗石(ばじょうせき)があり、ここにも白馬の信仰の痕跡をうかがうことができます。
 

【鎮座地】

住所:駒ケ岳山頂(元宮)
箱根町元箱根80-1(里宮、九頭龍神社新宮)
元宮へは、箱根園から駒ヶ岳山頂までロープウェイが通っている。


箱根神社の三体の神像


 箱根神社の里宮には、鎌倉時代の作と考えられる三体の神像が祀られています。男神像、女神像、僧形神像の三体が組みになった像で、これは、『筥根山縁起』に書かれる万巻上人の修行中に現れた三神を現したものでしょう。

 その時、箱根権現は「我らは奇怪な姿をしているけれども、箱根の山の神である」と語ったと伝えられています。さらに、最近になって、これよりも古い平安時代のものとされる男神坐像と女神坐像も公開されるようになりました(箱根神社里宮の宝物殿企画室で随時公開)。

 古代祭祀の痕跡と考えられる磐坐(いわくら)が駒ヶ岳の山頂に残っていることから、古代のかなり早い時代から、おそらく神山を崇めるための何らかの祭祀の行われる場として開かれたことは確かでしょう。

 その後、平安時代になって山の神の姿が陰陽二つ、男神と女神という人と似た姿形を持つ神として祀られるようになり、さらに修験道、仏教と習合する中で僧形の神が加えられた三所権現と化し、その三柱の神がいつの間にか、古事記に登場する瓊瓊杵尊、木花咲耶姫命、彦火火出見尊に比定されていったのでしょう。

神山としての箱根

 箱根で強く感じられるのは、やはりその信仰の中心をなす神山の存在です。男神、女神といった人間に近い姿というよりは、時には噴火して人に畏怖の念をも与えてしまうような、神々しくも恐れおおい自然神としての強烈なパワーを発しています。

 私たちは古来より、自然に生かされてきました。現代では、川の水を堰き止めたり、海を埋め立てて陸を作ったり、大自然ですら人の科学によってどうにでもなるものという意識の方が強くなっているかもしれません。

 しかし、私たちはまだ地中深くのマグマや地殻変動が起こす、火山活動や地震を止めることはできません。古代の人々が「山の神」として畏敬の念を持って拝した山を目の当たりにすることで、私たちも地球という惑星に生かされている生物の一つの種に過ぎないのだということをあらためて感じてみたいパワースポットです。

箱根参詣のモデルルート

 箱根山には、箱根神社や九頭龍神社と称される神社が何社か点在していて、初めて訪れるとどこをどう訪れてよいか、少し迷うかもしれません。

 一般的によく知られているのは、芦ノ湖畔にある神社で、九頭龍神社と呼ばれる神社です。これも二社あり、小田急山のホテルの近くにある神社が、九頭龍神社新宮、箱根神社の里宮になります。


 九頭龍神社新宮から見て北西、同じく芦ノ湖畔、白龍神社の先にあるのが、九頭龍神社の本宮です。


そして、芦ノ湖畔のロープウェイ乗り場からロープウェイに乗って約7分で駒ヶ岳山頂に着きますが、ここに坐すのが箱根神社の元宮です。


 箱根神社の里宮には宝物殿があり、ここで箱根神社の数々の縁起や、神像を見ることができます。まずは里宮をお参りし、宝物殿で数々の神像に拝礼してから、いよいよロープウェイに乗って、箱根山の信仰の中心となる神山へお参りにうかがうとよいでしょう。

 駒ヶ岳山頂で参拝する対象は、隣に臨む神聖なる神山自体です。さらに、神山と同じ北西の方角には、霊峰富士をも拝むことができます。すぐ眼下には芦ノ湖、遠くに相模湾。そして、北西には神山と遠く富士。その自然の作り出す絶景に感謝しつつ、祈りを捧げましょう。


 そもそも、はるか古代に祭祀の場として選ばれた時には、神山自体が参拝の対象でした。富士山も箱根の神山と同じく、古来より山自体が崇拝の対象となる神体山であり、修験の行場でした。さらに、現在、箱根神社の箱根大神の一柱に比定される木花咲耶姫命が、富士山本宮浅間神社に祀られています。

 浅間神社の主祭神は浅間大神ですが、鎌倉時代には仏教との習合から浅間大菩薩と言われ、室町時代以降に浅間大神=木花咲耶姫命と同一視されるようになりました。

また、平安時代初期に成立したと言われる『聖徳太子伝暦』には、聖徳太子が黒駒に乗って東国の「附神岳(=富士岳)」まで天翔けて行ったという伝説が描かれています。富士山の山梨県側に当たる塩山市の常泉寺では、聖徳太子が訪れた際に腰掛けたとされる石を見ることもできます。神が白駒に乗って駆け下りた箱根、聖徳太子が黒駒に乗って駆け下りた富士。さまざまな点から、似たような背景を持った神体山と言えるでしょう。


 さらに、駒ヶ岳山頂からは神山まで約1時間30分で登山できますので、元気のある方は、昔の修験者よろしく、駒ヶ岳山頂から神山までを徒歩で踏破してみてはいかがでしょうか。


 また、鎌倉時代には、箱根神社を深く信仰していた源頼朝が二所詣※を行っています

 同時代、後白河法皇が熊野の三所詣(本宮、速玉、那智)を頻繁に行っていたことはよく知られていますが、熊野も箱根と同じくやはり修験の行場。頼朝は、この箱根から伊豆にかけての一帯を「東国の熊野」として、特別な場所と位置づけていたのかもしれません。

 そして、頼朝の創始したこの「二所詣」は鎌倉幕府将軍によって重要な宗教儀礼として引き継がれていきました。私たちも、受験の前、転職の前といったような人生の中での大きな勝負事に向かう前には、頼朝に倣って二所詣をしてみるのもよいかもしれません。

※ 正確には、箱根権現、三嶋大社、伊豆山権現の三社を参るので、「三所詣」ですが、通称「二社詣」と呼ばれてきました。

源頼朝の二所詣に倣う

 スタート地点は、由比ヶ浜。頼朝はここで禊ぎを行ってから7日間ほどの精進潔斎に入り、その後、鶴岡八幡宮に詣でます。

忙しい現代社会に生きる私たちは一週間の潔斎期間を設けるのはなかなか難しいでしょうから、由比ヶ浜でまず心を清らかにした後、鶴岡八幡宮に参詣し八幡神に挨拶をして出発することにしましょう。その後、頼朝の参詣した順番に倣って、箱根権現、三嶋大社、伊豆山権現と順に参拝していきましょう。

※下記の書籍に寄稿したコラムを元に再構成した記事です。


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