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頼朝を助けた佐助稲荷神社

頼朝を助けた稲荷神

鎌倉には、源頼朝の挙兵を助けたと伝えられる稲荷神社があります。それが、鎌倉の郊外にある佐助稲荷神社です。

鎌倉駅に降りて東口に出ると、鎌倉市観光総合案内所や鶴岡八幡宮、そして、その参道である若宮大路、レストランやお土産屋さんが軒を連ねる小町通りなどがあり、いつも観光客で賑わいを見せていますが、鎌倉駅の西口側に出ると、東口とは違った静寂の古都・鎌倉を味わうことができます。

「市役所通り」と呼ばれる通りを抜けて、銭洗弁財天や源氏山公園の方に向かって行く途中、左に曲がって進んで行くと、たくさんの赤い幟が翻る参道が目に入ります。

幾重にも連なる朱塗りの鳥居をくぐって、参道を上って行くと、鎌倉駅構内の喧噪がまるで夢だったかのよう……。ひっそりとした静寂に包まれた境内が姿を表します。

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この佐助稲荷神社。
創建は不明ですが、社伝によると建久年間(1190~1198年)に、源頼朝が畠山重忠に命じて再建させた稲荷と伝えられています。

頼朝が挙兵するきっかけとなった夢告

さて、ではなぜ、頼朝がこの神社を再建したのでしょうか。
頼朝は、平治の乱で父・義朝が敗北したことにより、永暦元年(1160年)に伊豆に流されました。
伝説によると、伊豆で流人生活をしていた頼朝が病気になった時、助力を誓い平家打倒の兵を挙げるように夢告したのが、この佐助稲荷神社の神だと言われています。

2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、頼朝の夢枕に立つのは、後白河法皇という設定になっていましたが、佐助稲荷神社の伝承では、稲荷神だったと言われているのです。

治承4年(1180年)に挙兵した頼朝は、平家を倒し、その後この稲荷社を再興したと伝承は告げています。

佐助稲荷神社の名前の由来

「佐助」という名前の由来は、2つあります。
前右兵衛佐殿(さきのうひょうえのすけどの)を短くして「佐殿(すけどの)」と呼ばれていた頼朝を「助けた」稲荷なので、佐助稲荷と呼ばれるようになったという説と、頼朝を助けた稲荷、「助け稲荷」が「佐助稲荷」となったという説とあるようです。

佐助稲荷神社のご祭神

この稲荷に祀られる神は、

・宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
・大己貴命(おおなむちのみこと)
・佐田彦命(さるたひこのみこと)
・大宮女命(おおみやひめのみこと)
・事代主命(ことしろぬしのみこと)

です。


2月の初午の日に例祭が行われます。

宇迦之御魂神(=宇迦御魂命)とは、あまり聞きなじみのない神様の名前かもしれませんが、農漁商工業繁栄の神徳を持つ生活の守護神で、日本各地に数多く存在する稲荷社の祭神として祀られる神です。

佐助稲荷神社に伝わるもうひとつの伝説

そんな生活の守り神らしい、もう一つの伝説が今に伝わっています。

由比ヶ浜で犬に追われていた狐を魚屋が助けたところ、その魚屋の夢に狐が現れてこの辺りの土地で大根の栽培をするよう勧めたのだそうです。
夢の通りに大根の栽培を始めたところ、鎌倉に疫病が流行しましたが、この魚屋が栽培した大根を食べると疫病が治ると言われたので、大根は高値で売れてゆきました。その後、この狐を助けた魚屋は豊かになったことに感謝して、ここに稲荷の社を建てたのだ、と言われています。


狐といえば、本殿の右手奥には、「霊狐泉(れいこせん)」と呼ばれる泉が、今も湧き出ています。

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佐助稲荷の山の水は、古来から、麓の田畑を潤しており、人々はこれを霊狐の神水と称え、神棚に供えていました。


もちろん、お守りも稲荷の使いの狐。かわいらしい狐の根付けをはじめ、たくさんのお守りが並びます。

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境内には小さな祠が立ち並んでいますが、その祠の前にはたくさんの狐の像が奉納されています。

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開運絵馬もあります。
私も奉納してきました。

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【施設情報】
佐助稲荷神社
住所:〒248-0017 鎌倉市佐助2-22-10
駐車場:なし


【編集後記】

鎌倉駅からは徒歩約25分。ちょっと距離がありますが、ゆったりのんびりとした雰囲気を味わいたいなら、ぜひオススメのスポットです。
静かな境内には、とても愛らしいリスたちの姿も見え、心が和みました。

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動物と人との繋がりをとても大事にしていらっしゃる神社のようで、ペットの絵馬やお守りも授与されているそうです。


※この記事は、2014年に、ポータルサイト『駅探』の『駅前プログ』掲載用コンテンツとして作成した記事の加筆修正版となります。


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