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怪談実話 3

第一話 K池の祠1


 フリーランスライターのNさんから聞いた話。

 * * *

 数年前ぐらいでしょうか、パワースポットブームってありましたよね。○○神社に行くと恋が叶うとか、金運アップには○○に行くといいとか。いまでも、まだ人気なんでしょうかね。
 当時、懇意にしていた出版社でも、パワースポットに関する本を出すことが決まり、その仕事に携わることになったんです。
 担当の編集者は、かなり熱意を持っている方でした。

「ただ、本やネットで調べた情報をまとめるだけじゃダメだ。他のパワースポット本とは一線を画したいから、きちんと自分の足でそのスポットを訪れて、エネルギーを読んで来てほしい。そして、どのように訪れるとパワーを得られるのか、調べて来て欲しい」

 ということで、リストを渡されて、取材に行くことになったんです。私は、そこまで霊視ができるわけではないので、私より視える友人Tに同行を頼みまして、その編集者が一押しだというスポットにまず向かうことにしました。


 そのスポットは、首都圏近郊にあるK池公園というところでした。
 都内から2時間ぐらいでしょうか。
 編集者から、桜の季節はとても美しくて気持ちのいい場所だから、と言われて現地に向かいました。

「あれ?」

 と、違和感を覚えたのは、K池の最寄り駅に着いてからです。

 私自身も友人Tほどではないですが、ある程度のエネルギーは感じることができるんです。パワーのある神社やスポットであれば、地図がなくても、そのエネルギーを辿ってそこに辿り着くことができるぐらいには、わかります。
 でも、駅を降りても、K池がどの方向にあるかすらわからないんです。
 これは、「単に桜が綺麗なお花見スポットっていうだけじゃないのかな、これはボツかな」と、不安を感じながら、地元の方に道を聞きつつ、K池に向かいました。


 不安が恐怖に変わったのは、K池公園に入ってすぐのことでした。
 確かに他の場所に比べて、パワーはあるかもしれません。でも、なんというか……負のパワーなんです。
 池には魚や水鳥が泳いでいて、一見、ふつうの池なんですが、水面が鈍色に曇っていて、爽やかな水のエネルギーが感じられない。


 池の畔に、ぽつんと古びた祠が建っていました。
 祀られていたのは、弁財天だったと思います。
 でも、肝心の弁財天様がいらっしゃらない。
 何か、“他の存在”を感じるんです。


 K池公園に入ってから、背筋の寒さを感じていて、もうすぐにもここから出たいと思っていたのですが、仕事は仕事なので、仕方なく本に掲載するための写真を撮ろうと、カメラを出しました。
 ホラースポットでよくある話過ぎて、あまりに陳腐な体験なんで、これはあまり言いたくはないのですが。シャッターが降りないんです。
 池と祠のところでは、どうやってもシャッターが降りない。
 仕方なく、池の周りをぐるっと回って、どこかシャッターが切れるポイントがないかと探し歩きました。


 そのとき、偶然見つけたのですが。
 公園には、あまりに不似合いな石碑が建っているんです。
 水神碑、池の改修記念碑。
 これらは、まだ理解できます。
 しかし、一番大きく存在をアピールしているのが、昭和に建てられた、K池に関する裁判結果を記した石碑なんです。
 どうやら、この池はもともと農業用の灌漑池だったのですが、その権利を巡って所有者の権利を巡る裁判が行われていたようなのです。


 ああ、負のパワーを出しているのは、これか、と納得しました。
「ここは自分のものだ」
 そう所有権の主張をし、争う人々の怨嗟の声。


 それと同時に、この池に伝わるある伝説が思い出されました。

桜


第二話 K池の祠2


   *

 昔むかし。まだ、ここに池などなく、この辺り一帯がいくつかの小さな水田に分かれていた頃のこと。お松という働き者の嫁がおりました。
 お松は夫婦仲もよく、その姑はその仲むつまじさをひそかに妬んでいました。
 お松の夫が留守をしていたある日のこと。
 姑は、産後間もないお松に、大の男でも一人では無理だというほど広い田んぼを指さして言いました。

「今日のうちに、おまえさん一人で田植えを全部終えとくんだよ」
「はい、わかりました、おっかさん」

 お松は、産まれたばかりの赤子を背負って、一生懸命田植えに励みました。
 しかし、そもそも一人では無理な広さの田んぼです。お日様は西に傾きかけていましたが、まだ田植えを終えることはできませんでした。

「ああ、あと半刻。せめて、あと半刻あれば、田植えが終わるのに……」

 お松は、お日様に手を合わせて、神様に祈りました。
 すると、なんと不思議なことでしょう。
 沈みかけていたお日様は、再び東の中天高く昇ったのです。
 おかげで、姑の言いつけ通り、「今日のうちに」お松は田植えを終えることができたのでした。

「ああ、よかった。おっかさんの言いつけを守ることができて」

 精根尽きたお松は、そのまま田んぼに倒れてしまいました。
 そのとき、どこからともなくたくさんの水が溢れてきて、お松もその子どもも、水に呑まれてしまったのです。
 人々は、お松の祟りを恐れて、この田んぼに近寄らなくなってしまいました。
 それからしばらく雨の多い年が続き、いつしかお松が田植えをした田んぼは跡形もなく、池となってしまったのです。

   *

「この辺り、昭和に入ってまで灌漑池の権利を巡って裁判を起こしているぐらいだから、もともと稲作できるほど、水がなかったんじゃないかなぁ。それで、人口の池を作ることにしたんだろうね」
 そして、このお松。
 ただの嫁いびりで亡くなったわけではなく、池を作るために人柱にされたのではないか。
 そう考えると、パズルのピースがはまるように、すべての符号がぴたりと合致するんです。


 祠に祀られているのは、弁財天様ではなく、人柱とされた女性たち。
 そして、現代に入っても権利を巡って争い続ける男たち。


 ここを気持ちよいエネルギーだと感じられるのは、男性に限られるのかもしれないと。
 そう思いました。


 ええ、同行してくれたTさんも、同じ意見でした。
 ただ、ここと繋がっているエネルギーを感じるから、県内のE神社に行った方がいいと言われまして。
 私も正直、ここはパワースポット本に紹介できる場所ではないので、困っていたんです。
 このK池を紹介して、本を片手にやって来た人が、祠に手を合わせたらきっと大変なことになる、って思ったんです。
 でも、E神社なら、大丈夫だろう、と。仕事のことも考えて、E神社に取材に向かうことにしました。


 ええ、E神社なら大丈夫だろう、と思っていたんですけどね。

江ノ島


第三話 E神社の岩屋

 それで、翌日にまたTさんに付き合ってもらって、E神社を訪れたんです。
 私は、地元ということもあって、それまでにもE神社には何回か参拝したことがあったのですが、ちょっとこの日はおかしなことがおきました。

 E神社は、徒歩でくまなくすべての宮をまわっても、トータルで3時間あれば参拝できるはずなんです。

 境内には、三つのお宮があるのですが、奥の宮まで行くとしても、片道で1時間30分もあれば、大人の足なら絶対に行ける。

 それが、この日は歩いても歩いても、奥の宮に辿り着かないんです。
 狐や狸にバカされる昔話がありますよね?
 知らずに、同じところをグルグル歩かされているという……。
 まさに、あんな感じでした。


 午前中にTさんと待ち合わせして、奥の宮に辿り着いたのが午後3時ぐらいでした。
途中であまりに奥の宮に辿り着かないんで、昼食を取りましたけど、でも昼食だって売店で買ったものをベンチで軽く食べるだけです。何時間も、のんびり食べていたわけじゃないんです。
 それなのに、どうしてあんなに奥の宮まで時間がかかってしまったのか。
 いま振り返って考えてみても、不思議で仕方ないんですよね。


 しかも、三つのお宮、どこも神様の気配がない。
 話しかけても、答えが返って来ない。
 これは、参拝してはいけなかったのかな、と思いました。


 奥の宮だけは、何かいらっしゃるな、と感じましたけれど。
 前日の、K池と同じで、祀られているご祭神と実際に祀られて、そこに存在していらっしゃる方の気配が違うんです。


 E神社は、それこそ全国的に有名なパワースポットなんですよ。
 K池と同じ、弁財天が祀られていて、また竜神様でも有名です。
 しかし、どちらの神様も気配が感じられない。
 竜神様ではなく、蛇神様の存在は感じられたのですけれど。
 私たちは、歓迎されていないのかな、と思いました。


 神社は、神域ですから。
 そして、日本の神様はもともと祟り神としての側面も持っていますから。
 神域が、表の顔と裏の顔を持っているのは、当然のことだと思います。
 神道でいうところの、荒魂あらみたま和魂にぎみたまです。

「神社は、午前中に参拝するとよりパワーをいただけますよ」って書いてあるパワースポット・ガイド本が多いと思うのですが、あれは神様の和魂に参拝するということでもあると思うのです。

 神社によっても違いますし、一概に何時とは言えないのですが、夕方頃から「顔が変わる」神社は多い気がします。
 そういった意味で、ただでさえ歓迎されていない神社で、本来は参拝に向かない危険な時間にさしかかっているのは、わかっていました。


 それでも、仕事でしたから……。すべて回りきろうと思いまして、E神社の一番奥にある岩屋まで行ったんです。
 この岩屋は、富士山と一番奥で繋がっていると言われる有名なパワースポットです。さすがにここは何かしらの収穫があるだろうと思って、向かいました。


 しかし、入る前から、もう怖くて怖くて仕方がないんです。特に、地面が怖くて仕方がない。
 岩屋は二つ、第一の岩屋と第二の岩屋がありまして、特に怖いのが第一の岩屋でした。
 入り口でロウソクを借りて、真っ暗な岩屋に進みました。

 入ってすぐ、足に何か細くて長いものがまとわりついて来る気配があるんです。
 そして、まとわりつかれた足がどんどん冷たく重くなって、動けなくなっていく。
 先ほど感じた蛇神様の気配だと思います。
 Tさんも、私と同じ状態でした。


 Tさんは視るのが得意、私は祓うのが得意だったので、とりあえず走るように二人で岩屋を出て、日の光の下で足にまとわりついたものを私がはずしました。
 そのとき、ふっと「生け贄」という言葉が浮かんだんです。


 Tさんにも、確認してみました。

「岩屋から穴に飛び込んでいくような……、いや飛び込まされているような、そんな女性たちの姿が見える。彼女たちが、生け贄だったんじゃないかと思いますよ」

第四話 呪の連鎖
 確かに、調べてみると、このE神社の竜神様が、もともとは生け贄を求める荒ぶる神様だったことは、神社の縁起にも書かれていました。

 子どもを生け贄として欲していたようで、そのことは「稚児」「子死」といったこの辺りの地名にいま現在も残っています。

 その、竜神様の悪行を止めたのが、この地に舞い降りた天女、弁財天だそうです。
 弁財天に恋したから、竜神様は生け贄を求めることをしなくなった、と。

 そう、正式な縁起には書かれています。


 現代では、「弁財天様と恋」というキーワードがいつの間にか一人歩きして、ここは恋が叶うパワースポットということになっています。
 恋愛成就のお守りも人気があるようです。


 でも、それが真実なのでしょうか?
 私は、K池の伝説に巧妙に隠された人柱の女性のことを思い出しました。
 こちらの神社の縁起も、美談としてまとめられてはいますが、無理やり犠牲とされた女性がいたのではないか、と。
 つい、想像を逞しくしてしまうのです。


 いえ、あながち想像ではないんですよ。


 結局、その日、私たちがE神社の境内を出ることができたのは、日も傾きかけた頃でした。

 なぜ、そんなに時間がかかったと思います?

 また、迷わされてしまったんです。

 私たちは、岩屋を出てから怖くて怖くて、とにかくE神社の境内の外に逃げようとしました。
 幸いにも、地図を見るとショートカットして、下へ降りる道が用意されているのがわかりました。
 そこで、私たちはその脇道を目指し、急ぎ足で歩きました。
 私たちの後ろを歩いていた人たちも、同じようにショートカットして下へ降りようという相談をしているのが聞こえてきました。


 ──ところが。

 突然、後ろを歩いていた人たちの声も気配も、消えてしまったのです。

「どこで? どこに、下へ行く脇道があったの?」

 私たちは、戻って確かめました。
 でも、どこにも道なんてありません。
 しかし、後ろを歩いていた二人連れの姿も、どこにもないのです。
 何度、その近辺を往復しても、私たちにはショートカットの脇道は見つけられませんでした。

 ええ、私たちには“見えない”のです、その道が。

 その間に、私たちの後ろを歩いていた人たちは、どんどんと消えていく。
 そして、私たちはまたそこに残される。
 その繰り返しです。

 日暮れが近付いていました。

 ただでさえ、日が暮れる時間というのは、人と物の怪とを区別することが難しくなる「誰《た》そ彼《かれ》」時。
 これ以上、ここにいても物の怪にバカされ続けるだけだ、そう思って、私たちは正規の参道を急ぎ足で降りることにしました。


 結局、E神社から出られたときには、完全に日が暮れていました。


 生け贄の話、なぜ想像ではないとわかるか、教えて欲しいですか?
 本当に?
 聞きたいですか?


 担当編集者にも聞かれたんですよ。

「パワースポットとしては紹介できないです」

 と言ったら、理由を教えてくれって。
 でも、これ、この痣を見たら納得してくれました。

 蛇に巻き付かれたような、赤い痣が首や足にありますでしょう?


 K池とE神社の岩屋で、犠牲となった女性たちに頼まれたんです。
 この話を、自分たちの真実の話を書いてくれ、と。
 なるべく多くの人に伝えて欲しい、と頼まれたんです。
 そうすれば、呪は解けるから、と。


 この話を語ったり、書いたりすると、消えるんですよ、ほら。


 これ、本当に語っていいんですか?
 ああ、よかった。私はやっと約束を果たすことができました。
 これで多くの人にようやく伝えることができました。


 でも、これ……読んだ人は大丈夫なんですか?
 ここまで読んだ人も、「もっと、他の人に伝えて欲しい」って、──生け贄の女性たちにせがまれませんか?


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