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東ドイツの秘密警察Stasi(シュタージ)博物館📍ベルリン

シュタージ博物館に行く途中、ブランデンブルク門のすぐ近くにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。一度見ると忘れない風景。

この不均等なオブジェを見て皆さんは何を思い浮かべますか
このようにベルリンには第二次世界大戦や冷戦で犠牲になった人々を記念する場所がたくさんあります。
ベルリンの中心地から少し離れたところにこの博物館は位置しています。
使われていた建物をそのまま博物館にしています。東ドイツを舞台にした映画にもそのままでできます。
東ドイツの政府によって使用されていた建物のいくつかは、現在人が住んでいます。

シュタージについて知りたい方におすすめの映画

秘密警察による反体制派への監視が行われていた冷戦時代の旧・東ドイツ。秘密警察局員のビースラーは、ある日“反体制派”と目される劇作家ドライマンを監視するように命じられる。

東ドイツでの人々の生活に興味がある方におすすめの映画

分断下のドイツでは自由を求めて東ドイツから西ドイツへ逃亡する人々が数多くいました。しかし、逃亡することは大きな危険を伴い、警察に見つかって多くの人が射殺されました。命の危険を犯しながらも脱出を試みた家族の実話です。
入り口入ってすぐの様子。
これは逮捕した人々を連行するための車。外から中が見えないようになっていて、デリバリーサービスの車のように見せかけたデザインにしているものもあったそう。こうして逮捕された人々は忽然と日常生活から姿を消しました。
この写真は1968年にチェコで起きたプラハの春の写真。当時のチェコスロバキアで民主化の動きが起きたが、ソ連が指揮する軍隊が軍事侵攻をし鎮圧された。

戦後は大きく分けてアメリカの資本主義、ソ連の共産主義に政治体制が分断し、対立が深まっていきました。資本主義側が経済発展していく一方、ソ連が影響力を持っていた国々では、共産主義支配体制による経済の停滞や、言論の自由が抑圧されました。その不満が重なり、プラハの春のような民主化運動が増加しました。

東ドイツの軍隊や警察が実際に使用したり着用したりしていた実物を展示しています。
1989までに約9万人もの秘密警察が雇われ、東ドイツを支配していました。彼らの仕事は市民の監視、反体制活動の取り締まり、スパイ活動、メディアを通じた社会コントロールなどでした。
ヒトラー支配下の時のように、未来の東ドイツを担う若者たちを育成するグループがありました。ここで若者たちソ連の支配にふさわしい思想を教えられました。
これはシュタージの上層部の会議室
会議室に飾られていた絵画。東ドイツの軍隊と一般市民、その後ろにはブランデンブルク門が見えます。
秘書が仕事をしていたところ
ソ連の支配下にあった東ドイツでは、政府に目を付けられたものはすぐに監視下に置かれました。その代表的なものが「盗聴器」です。家主が不在の間に秘密警察が部屋に侵入し、盗聴器を仕掛けました。
技術者を雇い、壁に埋め込んだり、電話器の内部に設置したりしました。
日用生活品にも盗撮カメラは仕掛けられました。こうして言論の自由は奪われ、人々は誰にいつ密告されるかわからないという恐怖を感じながら生活しなければいけませんでした。
当時の東ドイツの社会を知る写真
このロゴは東ドイツ関連の博物館に行くとよく目にします。左のロゴは共産主義を表しています。「鎌と槌」は農民と労働者の団結を表しています。右は東ドイツのロゴ。中央の「コンパスとハンマー」は知識人と労働者を表しています。

右のロゴをよく見ると、上部はライ麦に囲まれています。これは農業労働者を表し、「コンパスとハンマー」は、労働者、知識人、技術者、農業労働者が協力し合う社会を象徴するものでした。

二つのロゴに共通する剣とシールドは、国を守る役割を担う東ドイツ警察の象徴です。

共産主義について学ぶ私が読んでいる本がこちら。

難しいですが、マルクスの本を翻訳したものよりかはずっと理解しやすいと思います。

読んでくださりありがとうございました。

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