野球部における人間教育は必要か

 部活動において、指導者は人間教育をすべきかと言う議論はしばしばされる。先に私の見解を述べる野球部における人間教育もしく、人格形成指導は必要である。しかし、なかには全く必要なく、野球における技術指導のみをしていればよいと考える指導者もそんざちする存在する。それを否定する気は無いし、その考え方はあながち間違いでは無いとも思う。なぜならば、技術指導をするにしたって、必ず目的と目標が存在するからだ。たとえば、目標をプロ野球選手になることだとすると、プロ野球選手になるためには、なにをさせるべきかを考えなくてはならない。また、プロ野球選手になるためには、一人で野球の技術練習をしているだけでは、決してうまくはならないし、野球は真面目にするが、私生活はチャランポランでは、野球はうまくならないし、周りも応援はしてくれない。なので、強いチームを作ろうとか、プロ野球選手を育てようと考えると必然的に人間教育をしなくてはならなくなる。つまり、人間教育を意識せずとも、自然とやってるわけだ。
ここからは教育的な観点、学習指導要領からの解釈を述べていく。まず初めに、学校教育における、部活動は学習指導要領内で以下のように定義づけされている。「部活動は,学校教育活動の一環として,スポーツや文化,学問等に興味と関心をもつ同好の生徒が,教職員の指導の下に,主に放課後などにおいて自発的・自主的に活動するもの」また内容として、「スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること」。
また、教育活動は、以下のように定められる。

1 人間として相互に尊重し合い,友情を深めるとともに,集団の規律を遵守し,責任を重んじ,協力して共同生活の充実発展に尽くす態度を養う。
2 広く考え,公正に判断し,誠実に実践する態度を養うとともに,公民としての資質,特に社会連帯の精神と自治的な能力の伸長を図る。

3 心身の健康を増進し,個性を伸長するとともに,人間としての望ましい生き方を自覚させ,将来の生活において自己を実現する能力を育てる。

4 健全な趣味や豊かな情操を育て,余暇を活用する態度を養うとともに,勤労を尊重する精神の確立を図る。これらを理由に必ず、人間教育は必要だと言える。
次に、私の考える部活動の定義として、以下のように定める。部活動とは、同一方向に興味関心があり、同一の目標を定める人の集合体であり、活動を通して、規律性を身につけ、集団としての絆を強めるものである。この定義からも分かるように、部活動はformal group(内集団)である。つまり、同一方向に規律性をもって行動することが求められ、かつ役職や役割が定めだれた組織であると言える。また、組織がどのように行動すれば、上手く働き、どのようにするれば破産するのかを学ぶことが要求される。当たり前ではあるが、内集団において、一人一人が好き勝手な行動をしていては、集団もしくは組織は成り立たない。逆に言うと、外集団は興味や趣味によって偶発的に集まった集合なので、規律性は求められないし、目標目的も統一されていないので、成り立つだろう。しかしながら、内集団と外集団を混ぜると大変なことが起こる。たとえば、野球部において、野球好きが偶発的に集まったと考えて、好きな野球がしたいから、練習はせずに試合をする。そのなかに、県大会で優勝したいと考えているものが半数いるとする。この半数も野球好きなので、試合をしていれば楽しいはずだが、試合しかしないので、技術はつかず、いつまで経っても上手くならない(強くならない)チームにいることが嫌になるはずだ。そこで、試合だけではダメだ。練習しなくてはと思い、まずはゴロ捕球から練習しようと考えて、チームメイトに言うと、おそらく、半数がなんでそんなつまらない練習をしなくてはならないんだ。と言うはずだ。これは根本的な目標、目的の相違から生まれるものだ。当たり前だが、目標が県大会優勝と目標が野球を楽しむことでは、大きくずれており、これらが同一集団内に混在するといい結果は生まれないし、反作用を生むことになる。なので、まずは指導者はチーム内で、どこに目標を置くのか、このチームは内集団なんだと意識する必要がある。また内集団になったからには、同一目標に向けて、規律性をもち、集団帰属意識を持つことになる。ゆえに、どうすれば、いい組織になるのか、いい集団になるのかは、社会性を身につける機会となり、絶好の人間教育の場となるわけだ。

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