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お盆に思うこと "持論"自殺は『発作』かもしれない?

こんにちは祐希です!
毎日暑いですね。
皆さんはいかがお過ごしですか?

さて、一般的にお盆は8月だとおもいますが、私の実家ではお盆は7月です。

先日実家に立ち寄った時に、
「今日迎え火やるんだよ」と父に言われました。

幼い頃祖母と叔母がお盆になると
迎え火・送り火の時に呼んでくれて
玄関先で火をまたいだのを思い出しました。
訳もわからず
ぴょんと飛び超えるのが楽しかったのを
覚えています。

改めて『火をまたぐ意味』を調べてみると
厄除けと無病息災を願う意味が込められているそうです。

前置きが長くなりましたが
お盆に実家にに立ち寄り、お墓参りに行って、天国に行った家族や自分自身の
『生と死』について久しぶりに
思いを馳せました。
そして特に、
私が突然「死んじゃおうかな」と思ってしまった経験から導き出した"持論"について
お話しします。


7年程前、私は前の夫と死別しました。
(死別に関しては、また別の機会にお話しします)

死別後落ち込んで
眠れなくなり、涙がとまらず、
食べらなくなり
診療内科で『抑うつ状態』と診断されました。(抑うつ経験についても別の機会に詳しくお話ししようと思ってます)



診療内科で薬を処方してもらい
眠れて、食べられるようになり
仕事も休まず働いていました。

徐々に薬の量も減り、
「落ち着いてきたな」と
自分でも思えるようになってきた
ある日の休日です。

ひとりでのんびりと映画を観ていました。
家には愛犬のだんごがいて、
スヤスヤ眠っている穏やかな午後でした。

夕暮れが近づき、ふと窓の外を見た時に
「死んじゃおうかな」と思ったんです。
急にその思いが浮かんだんです‼️


その瞬間に、だんごがムクっと起き上がり
「そろそろご飯じゃ」という顔で
私の顔をチラ見してエサ置き場に
颯爽と歩いていきました。 

だんごのその行動で
「ハッ😦」として現実に引き戻され
犬が水に濡れてブルブルブルッと
頭を振るように


「怖い、怖い」と自分の頭をふったのを
今でも鮮明に覚えています。
肝を冷やした経験でした。

冷静になり
だんごを撫でてエサをあげながら
『自殺って発作的にやってしまうものかも』
と思いました。

何故なら、
私は落ち込んではいたものの
自殺を考えたことはなかったから。

正直辛いときは
『(夫が)迎えにきてくれればいいのに』と現実逃避をしたことはありました。

けれど
生きたいけど叶わなかった夫の死
生きたくても生きられない人達
多くの死と向き合ってきた看護師としての私は自ら死を選ぶ人に対して

生きたい人に失礼じゃん!!
代わりに生きたい人に命あげてよ!
って思っていました。

そんな私にまさか
「死んじゃおうかな」という
発作的な感情が起きるとは!!
(以下この感情を『発作』と表現します)

もしあの時、だんごがいなければ
だんごが日常に引き戻してくれなかったら…
考えるだけでも恐ろしいです

『発作』が起きたときの私は、
死が怖いとか
周りの人が悲しむとか
残されるだんごはどうなるのかとか
全く考えずに
吸い込まれるような
フワッとした
なんとなく心地よいような
導かれるような
感覚だったからです。

硬い決意でも、苦しい気分でも
ありませんでした。
「散歩でも行こうかな〜」
「音楽聴こうかな〜」に近い
肩の力の抜けた
むしろリラックスした状態に
近い感覚でした。
『発作』のなせる技なのかもしれません。



30年弱看護師をしていると
幾度となく自殺という死の場面に立ち会うことがありました。

遺書も遺さず、
未来のことを前向きに話し合っていた人が
次の瞬間は自殺を図っていたという話をよく聞きます。

うつ病の自殺は回復期に注意⚠️です
具合の悪い時は、
自殺する元気すらない。
良くなってきたふとした瞬間に
自殺、自殺未遂という患者さんに出会いました。

ご家族からは
「もっと話を聞いてあげれば」
「側にいながら支えられなかった」
「なんで?どうして?」
など、ご自身の力不足や後悔、
そしてやり場のない無念さを
聞かせてもらいました。

遺される家族の気持ちは人一倍わかるのでご家族の気持ちに共感して
「こんなにご家族を悲しませて、何で自殺なんてするの⁉️」
「家でやらないでよ!家族の苦しみも考えてよ💢」
と勝手に憤慨していました。
自殺は「身勝手」と決めつけていました。

しかし『発作』を経験してからは
突然、死を選んだ人は
『発作』が起きたんだろうなと
考えるようになりました。


自ら死を選択した方は
「とてもいい人だった」という方が多いです。先のことを考えたら自殺はできない方だと思います。
だからこそ『発作』による行動の結果
と考えます。

自殺は「弱さ」だとかなんとか言う方も多いですよね。
私も同意見でした。
抑うつになるとか、弱さだと言われればその通りです。
でも、弱さだけでは死を選ばない。
私は弱いから、みんなを悲しませたくない。
弱い人は、全てを捨てて死を選択するほど強くないと考えます。

だから
【自殺は『発作』的感情による
行動の結果かも説】

私の持論なので
もちろん『発作』を抑える
特効薬は開発されていない

でも
過度に心配するのではなく
我が愛犬だんごのように
『日常に溢れている当たり前の幸せ』
に気づかせてあげること

自然体でありのままでいいんだ
だんごがいてくれてガツガツエサを食べているの姿が微笑ましい
私もお腹空いたな〜って感じられることが
生きていくってこと
これが特効薬はなくとも
『発作』への
頓服薬になるんじゃないかなと思います。


私は運が良かっただけなのかもしれません。
だんごに頓服薬をもらい
亡夫にも護られたのだとおもいます。

今こうして、生きていて
交通事故に遭っても生きている私。

「もっと世の中のお役に立て」と言われている気がしました。
私が生きている意味
自分が幸せに生きること。
万人は救えないから
私が差し伸べた手をとりたいと思う人に
できる限りの愛と癒しを届けること
支えること
導くこと
元気を届けることだと思っています。

この説はあくまで持論なので
参考にする、しないはご自身の自由です。

自殺は『発作』的感情による行動
だとわかれば
ご自身を責めずに済む方もいるかもしれないと思い書いてみました。


ではまたお会いできるのを楽しみにしてます!

祐希でした💖

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