「読んだ本から受ける創作についての所感」自分のこと。
雑誌も漫画も小説も図鑑もエッセイも詩集も
本はなにもかも創作に繋げる絵描きの所感だよ。
一冊め
先日購入した本 「Lula Japan」
この本に出てくるファッションは、分かりやすくも少々乱暴に言うと、『奇抜』。
でもそれは「ファッションとは」として捉えるからであって「アート」として鑑賞すれば、アート以外の何ものでもない。
こういうものを見るとつくづく感じるのは
「どんな創作も 生きてるものにはどうしたって敵わない」ということ。
創作絵で「アートな服」を表現しようとしてもそれこそ「奇抜な絵」になりかねないけど、
「生きている人間」が実物を身に纏えば、途端に重力を持つ「アート」になる。
私の創作は「女性」をえがくことが多いので、その点について全く悩ましいことである。
イラストレーターの中村佑介さんが、
「イラストノート」でのインタビュー内で
といったことを言われていて、
これを読んだときは「何おぅ。創作だって、リアルと一緒でつよいはず」と一瞬だけよぎったけど、
「…いやいやいや現実には勝てませんね」
と即思い直すなどしました。いやもうほんと中村さんの仰る通りなのだ。
それなのに、それでも、
描いちゃうんですよね。勝てないって分かってても。
だけどそれでもやっぱり、「これは絵じゃないと意味がない。写真では意味がない。絵だから表現できる何かをやるために、絵を描いているんだ」と思いながら、
足掻くような気持ちで
いつだって描いている。
描くしかないらしいから、もうしょうがないね。
二冊め
「親に売られた私の幸せな家族」
この漫画の中で、
主人公ソフィアへ向けて劇団理事が
と話すシーンがある。
この「闇は表現者の味方だ」という言葉に、
「うん。そうだよね。それでいいんだよね。やっぱり、そうするしかないんだよね」と再確認している自分がいて。
「創作者にとって闇は隣人」というのは、もう自分のことを振り返ってみてもずっと実感としてはあったけれど。
絵にも人間関係にも生きていくということにもぐるぐるしかしてない自身が嫌で苦しくたまらなくてもういいやと思うばかりだったときもあったけれど。
そんなようなものからしか生まれないものも、
地を這うような感情からしかつくれないものも
確かにあって、
それに気づいてからは、「じゃあもうしょうがねえや」「こうやってしか自分は生きてけねんだろ」とほんの少し諦めることができたように思う。
絵を描いているという性質だけで、自分はもう「穏やかな感情の生き道」というものは望めないんだろうなあ。とも分かってしまったけど。
まあそんなようなことを、「闇は表現者の味方だ」って言ってもらえて、ぐるぐるをちょっとだけ肯定してもらえたような。
そんな気持ちになった。という話。
三冊め
「GINZA」
今までパラパラと読んだことはあったぐらいの
雑誌「GINZA」。
たまたま、なんとなく読んでみたこの5月号…
一冊まるごとが、余すことなくクリエイティブ過ぎてあまりに濃厚。
雑誌なのに、読み干すのめちゃくちゃ疲れたんだけど…(褒め言葉)
安藤サクラのインタビューが興味深くて、役作りの記述がとても面白かった。
創作にも通ずる部分があるなあ… と感じつつ、
安藤サクラという「人」のユニークさも楽しみつつ、じっくり読んだ。
どんな衣装に身を包んでも、一瞬で映画のワンシーンのようなカットになる安藤サクラという存在。
かっこ よ!
四冊め
「妖精のおきゃくさま」
冒頭のモノローグ
とても、とても沁み入る言葉たち…
そしてすべての創作者のこと。
なぜ人はつくるのか
なぜ人は描くのか
なぜ人は表現しようとするのか
私もそれを 知りたいのです
そんなことを、
考えています。