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積読ワールドの自由と不自由

「#うちの積読を紹介する」
というタグをnoteで見かけたとき、自分の中で「本は積読するのが醍醐味なんじゃないかなあ」という思いがふつふつと芽生えてきた。

というか、持ってる本の8〜9割ほどが積読な気がする。もはや何をどう紹介していいのかすら分からない。
何度も読み返してる本もたくさんあるが、全部読み切ってるというより、読んでいきたいところまで読んでる、といったふう。

そう考えると、今度は積読の定義が気になる。
Weblioによると、以下のようにある。"読まずに"というのが要素として大きい言葉のようだ。

本を購入し、「いつか読もう」と思ってはいるものの、まだ読まずに放置してある(積んである)状態、あるいはその本を意味する語。「積んどく(積んでおく)」に掛けた表現である。


もう少し検索画面をスクロールすると「積読を解消/消化する6つの方法」とか「積読は解消するべき?」みたいな積読を終わらせようとする内容もある。一方、「積読は解消の必要なし!東大教授に学ぶ〜」とか「積読に後ろめたさはいらない〜」とか積読を肯定する言葉も少なめだけどある。そこには、積読を解消することに意味を見出そうとする一派と、積読を自体に価値があるとする一派がいる。

なんか、思ったのですよ。本とどう付き合うか、人によっていろいろあるんだろうし、もっと自由になろうぜって。そのほうが、本もあなたも幸せじゃない?って。

ま、積読本を日々眺めてる自分のことを思うと、僕も結局不自由なのかもしれないけどね。


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