制作日記-日次という意味深いコトバを与えられました
アートな日常に触れていただき、少しだけの感触を味わっていただきながら、興味を持っていただき、できれば、ファンにもなっていただき、個展などに足を運んでいただき、美意識を分かち合えればと、想って、今日も書き綴ってまいります。
今日は、noteの書き方を少しだけ、お勉強しました、日記とはいえ、自分は何者で、どんな人に向けて、何を投稿するのか?を明確にして発信すべし!という内容。確かに、読みたい人にとって、この文章は、何なのか?何がえられるのか?が分からなければ、確かに読む気になんかなりませんわな、
というわけで、冒頭の決め台詞。
そして、紹介の文章を考えてみました、どうでしょうか?
「アートをつくり続けています。前日のインスタに対して、直感的に浮かんだ言葉に、自らが突っこみを入れるという日記です。予期しないシンクロニシティー、美意識への声をお届けして、表現のもやもやを分かち合えれば!」
どうでしょうかね、、、あとは日々のタイトルのつけ方も、問題ありありですね、今日から改善してみます!このグダグダと書いている、日記的なところも、余分といっては余分かもしれませんが、でも、昨日のように言葉とシンクロしてくる場合もあるので、このパターンは捨てづらい、、、
しばらくの試行錯誤、それも、アートの感触であることを感じていただければ、あたたかく見守ってください、
さて、今日のお題です。
日次、秩序と意識と振幅と
このイメージは、針金でインスタレーションの一部として、かつて制作したものですが、この日、万年筆と水彩であらためて描いてみました。
絵の内容から3つの塊を、無理矢理、自分の興味を言語化しているようですね、この部分は、顕在意識のなかで出てきているようで、面白くないですね。
しかし、最近の自分テーマである習慣化が、「日次」という言葉に置きかえられている感じ、これは、なかなか、
「日次」という言葉は、調べてみると、様々な意味があって、日本文化の深さをあらためて感じてしまいます。読み方も、「にちじ」の他に、「ひなみ」、「ひつぎ」、「ひがら」とあり、意味も、毎日、日ごと、毎日奉る貢ぎ物、暦の上の吉凶、等。昔から、一日の単位の大切さをうかがい知ることができますね。毎日の制作は、貢ぎ物という捉え方は、なかなかの発見かもしれません。
なにに対して貢いでいるのでしょうか?
では、また。