オマージュから独自性を見いだし、こぼれ落ちるたる作品めいたものを感じよ
第34週 11月24日〜11月30日 の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、過去をよく観察し持ち味をいかした表現にチャレンジしてね。
というメッセーッジでしょうか?制作活動とシンクロする部分が多く
表現者としての覚え書きとして読み込んでみました。
では、いってみましょう。
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奇跡的に受け継がれてきたものを
自らに生まれてきた独自性として
内界での蠢動 (しゅんどう)として感じてください
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それは大いなる目覚めに通じ
私の遺物を残す活動へと導き
生きた証を刻み込むはずです
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世界は光であふれている
創造の現場では、過去から現在まですでに多くの素晴らしいものが存在しています。「神秘的に保存された古いもの、古く守りおかれたもの、奇跡的に受け継がれてきたもの(Geheimnisvoll das Alt-Bewahrte)」に押しつぶされそうになることがしばしばあります。
美大生たちと対話する機会がありました。大学3年生ぐらいでは、課題がだされ、その課題をこなしてゆくことが中心におかれています。たとえば、「環境配慮と○○の関係性をデザインせよ」といった具合に目的が示され、答えを創造するプロセスから学びをえるというスタイルです。
しかし、状況はどうかというと世界はアイデアであふれています。先人たちが創造してきたものによって、世界中が充たされているのです。
このような時代で、若き美大生たちの多くが、お手上げ状態になってしまうのもわかります。
もうすでに、世界中の誰かによって自分が思いついたアイデアより、はるかに高レベルなものが生み出されていて、自分が努力して創造することに意味が見いだせなくなり、悩むのも当然なのです。
さらに追い打ちをかけるように、「自分らしく創造しなければならない」という強迫観念にかられ。目の前に巨大な壁が立ちふさがり、考えれば考えるほど、にっちもさっも身動きがとれなくなってしまうのです。
では、自分の成長にために何をすべきなのでしょうか?
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情報のシャワーを浴びる
情報に溢れ、光に充ちた時代であればこそ、奇跡的に受け継がれてきているもののシャワーを思いっきり浴びることも重要ではないでしょうか?
インターネットの時代になりスマホが身体の一部になり、情報が溢れているように感じられます。ですから、
「情報のシャワーを浴びていないんじゃないか?」なんてアドバイスされると、エッという顔をされる方がほとんどです。
部屋の中から雨が降っているのを眺めている状況と、
傘をささずに外に出て雨を感じている状況とを想像してみてください。
情報のシャワーを浴びるとは、つまり体験することなのです。
ネットで検索することは、情報の在処を知ることであり、情報の本質をとらえるには不十分です。調べて、現場に行き、体験すること(フィールドワーク)によって情報がえられるのですね。
まぶしい光に怯まずに、体験してみてください。
輝きの中に、にゅるっと手を差し込んで触れてみると
感じられるものが格段と違うはずです。
そこからヒントをえて、表現の糧にしてはどうでしょうか。
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持ち味をいかした表現
「自分らしく創造しなければ…」という強迫観念を克服するヒントが、今週のコトバに隠されていました。
奇跡的に受け継がれてきたものを
自らに生まれてきた独自性として
内界での蠢動 (しゅんどう)として感じてください
「奇跡的に受け継がれてきたもの」とは伝統的なものとか、すでに評価が確立されているものです。それらを「自らに生まれてきた独自性」オマージュとして、思いっきり影響をうけてリスペクトしながら制作してみるのです。
そして「蠢動 として感じる」、蠢動 とは、幼虫が土の中でごそごそと動いているような感覚こと。光がみえていなくも身体のどこかが動いている感覚。その身体感覚を心の状態として置き換えてみてください。
感じたりつくる時には、「自分らしさ」などと大それた主体的ものが無くても、まず、「自分の持ち味」を見きわめ、反応的に動かされていればよいのです。
もうひとつの「創造しなければ…」という途方もないコトバです。
光に充ちた現在において創造の意味合いは、巨大かつ複雑で、昔とは全然ちがうものになっています。しかも、一人でというより、集団や社会全体で構築してゆくものとしてとらえた方がよい時代です。一人ひとりの「表現」が重なり合い「創造」がなされる、と考えるべきです。
表現とは、誰しもが内的なものを感性的形象として外界に向けて客観化することです。その客観的形象は、作品といった記号的に落とし込んだものではなくても、身振り手振りであったり、顔の表情だったり、自然に出てくるものでも充分な価値があるのだと考えてみてほしいのです。
「自分らしく創造しなければ…」から
「持ち味をいかした表現をしなければ…」と
コトバ使いを変えてみてはいかがでしょうか?
考える時の単語を変えることで活動内容が変わるかもしれませんよ。
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皇室の伝統園芸を受け継ぐ「菊花壇」の写真です。
100年ぐらいもの間、変わらずに栽培方法や展示方法など格式高く承継されてきたものが感じられます。毎日、菊と向き合いながら準備する人たちがいるのだなー。と感慨深く想像してしまいます。
自分はこういう「承継」というコトバとは無縁のつもりで生きてきたつもりでした。年齢がいくにつれ後輩たちに承継までいかずとも、余計な苦労をしなくてもいいように気持ちが動き、相談にのるような機会が増えてきました。
今週の翻訳は、ちょうど美大講師の時期と重なり、講義内容ともシンクロしている感じがして、シュタイナーさんのコトバを借りて表現者たちの覚え書きとして記してみました。
伝統や現在につながる道筋をよく観察し洞察する
「らしさ」ではなく「持ち味」をいかす
「創造」ではなく「表現」を
それらを繰り返すことで
「自分の作品がそこに在る」と感じられるといいですね。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
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