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目覚め 春の予覚

第51週 3月23日〜3月29日 の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、春です。春の予覚です。
目覚めと旅立ちにむけて!

では、読み解いていきましょう!

FRÜHLING – ERWARTUNG

51.
Ins Innre des Menschenwesens
Ergiesst der Sinne Reichtum sich
Es findet sich der Weltengeist
Im Spiegelbild des Menschenauges
Das seine Kraft aus ihm
Sich neu erschaffen muß.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1913

  春−予覚
  
  自分の内にも
  感性の豊かさが、あふれ出す時
  大いなるものの心があらわれている
  
  チカラは循環から生まれるのを
  目の当たりにする
  自らも新たに再生するのだ。

 

目覚めを感じる

春という季節は、再生される自然が感じられます。
それは、眠りから覚める感覚に近いのかもしれませんね。

まず、多くの花の咲き始めますよね。養分を蓄え、寒い時期に眠り、 春になると次々と目覚め始めます。桜やチューリップ、ヒヤシンスなど、公園にも色鮮やかな花々が枝や地面から顔を出し、風景を塗り替えてゆくのです。

次に新緑の萌え始めます。 樹木や草などが新しい葉を茂らせ始める時期でもあります。木々が、小さく鮮やかな緑色の葉を広げ、まるで舞台の幕が開くように、渋色の世界から一変して豊かな緑に覆われだすのです。

鳥のさえずりも、冬の間に聴こえてこないものがまじってきます。春は鳥たちが繁殖活動を始める季節でもあります。巣作りや求愛のため、鳥たちは活発にさえずりを上げ、新しい命が生まれる準備をしているのでしょう。

まだそれほどではないですが、 春は昆虫たちが活発になる時期でもあります。蝶や飛び回り、蜂やアリが働き始めます。土壌の中でも、ゴソゴソと虫たちが活動を始め、土壌の循環を促進してゆくのでしょう。

春は雨が増える時期でもあり、ここ数日も冷たい雨が降っていました。山の方では、雪解け水や春雨が川や湖に流れ込み、水の循環が活発になり、水辺の生態系が冬眠から覚めることでしょう。

このように、春は自然が再生される様子を観察できる季節です。新しい命が芽生え、生態系全体が活気づいて、勢いを増してゆく様子が観察できるのです。

まだ少し寒いですが、外に出て、自然が感じられる中を歩き、春を感じてみてください。観察できる世界を心の世界に置きかえたときに、自らの内界にも自然界で起きている目覚めが、同様に生起しているのかを洞察してみてくださいというメッセージなのです。

感性はインプットされている?

春は新しい始まりや希望の象徴としてとらえられることが多いのは何故でしょうか?学校では新学期の準備が始まり、入社式など、新しい人との出会いや新たな目標や計画を立てる季節もありますよね。

冬の寒さや沈静化から抜け出し、新たなチャレンジや成長の機会を感じられるのも、春を感じる理由の一つになっています。季節の節目と人生の節目を合わせたのは偶然ではないのでしょう。

生態系の春と、社会の春がリンクしているのは、興味深いですよね。元々は自然界の一部としての自分達を認識していたわけですから、先人達の感性に感謝の気持ちを送らなければいけないのでしょうね。

そして、「目覚め」という感性。

ここを大切にしたいと思うのです。1年をとおして、自分の成長を振り返るときに、春の雰囲気のなかで、自らが何を蓄え、どのような花を咲かせようとしているのか。

生命の循環を軸に考えてみてくださいね。というメッセージなのでしょう。

「風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける」

生命なのです。




わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

「春と修羅」宮沢賢治

シュタイナーと宮沢賢治。ほぼ、同時代を生きた二人ですね。
非常に共通点する点が多く、「みえないものをみる」方向性は、ほぼ同じであることが駄文を挟まなくても、この序文を読むと理解できると思います。

春を感じる際に、「春と修羅」を読むことは何かの因果、必然を感じてしまうのは私だけではないはず。

文庫本をもって桜の下で読みふけりたいものですね。


2024年3月 桜


公園に行くと、まだ、主役の染井吉野は咲き出していませんが、ほかの桜がちらちらと咲き出し、楽しませてくれています。

あなたは、今年のお花見計画を立てていますか?

ゴザを敷いて、お弁当をもって、桜の下でという「お花見」を今年辺りから本格的に復活を考えているのですが、3月がこんなに寒かったけ?と感じてしまいます。

あの頃を想い出しながら、ゆっくりと楽しみたいですね。



シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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