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「同担拒否」考

 「同担拒否」という言葉がある。もともとはジャニーズのファンの間で使われていた言葉らしいが、現在ではさまざまなジャンルのオタクの間でスラングとして使われているのを見かける。ここで「担(=担当)」とは自分が応援している特定の個人(アイドル、キャラクターなど)を指す。今回はあえて「担当」と「推し」の差異を無視し、同一のものとして扱っている。間違っている点があればコメント欄などで指摘してほしい。

同担拒否とは、同じものが好きな人とは絡みたくないという意味の用語・スラング。「同担NG」「同ファン拒否」などとも。(ニコニコ大百科より)

 さて、同じものを好きな人と関わりたくない、というのは一見奇妙な心理に思われる。人はできれば共通の好みを持つ人と仲良くなりたいのではないか。自己紹介やSNSのプロフィール、bioで自分の趣味や好きなものについて多くの人が言及するのは、自分がどういう人間なのかという表明のほかに、趣味が合う人と仲良くなりたいという下心(?)もあるからではないか。

 しかし、これを恋愛に置き換えてみると話は変わる。同じ相手に恋している人がいたとして、その人と積極的に仲良くなりたがる人は少ないのではないか。状況によっては自分の恋を有利に進められるから……と打算的に仲良くなろうと試みる人もいるかもしれないが、それでも恋のライバル本人に対しては複雑な感情を抱く場合が多いだろう。

 このことから、私は「同担拒否」という感情は恋愛感情に似た独占欲に由来しているのではないかと考える。あるいは「リアコ、リア恋」という言葉で表されるように本当に担当という対象に対して恋愛感情を抱いている場合も少なくないだろう。私は恋愛感情についてまだ十分には理解できていないのでこの点については深掘りしないでおく。

 続いて、自分が「同担拒否」感情を抱いた具体例について検討する。私は太宰治という作家が好きで、めちゃくちゃ好きで、とにかく好きなのだが、よく知らない人に「太宰治が好きで~」などと言われようものなら心にさざ波が立つ。そして作品に対して受け入れがたい解釈をしていたり、相手が「キャラづくり」のために太宰の名を使っているのではないか?と感じたときには内心嵐のように荒れていることがある。また、これは本題からは外れるが、年上の方に太宰治が好きだと話すと「若いころは自分も読んでたけどね、太宰治(笑)」といった反応をされることが何度かあり、なんで私もそのうち飽きるみたいに話すんですか???という憤りを感じたこともある。

 また、これは知り合いの話になるが、「推し」である男性アイドルと共演などでよく絡んでいる女性アイドルに対して敵意を抱く例をいくつか見たことがある。敵意といってもSNSでブロックしたり友人同士の会話で悪く言ってみせたりといったものだ。実際に共演から恋人同士になった演者の例もあるため、攻撃の矛先が本人に向かないのであれば間違っているとまでは言えないだろう。

 ある対象を一定の熱量をもって「推す」以上、同担拒否という感情は避けがたいものなのかもしれない。

 しかし、考えてみると世の中には話が通じない人間だったり理不尽に攻撃してくる人間だったり、ただただ決定的に合わない人がたくさんいる。そういう人のほうが多いのではないかとすら思う。その中で奇跡的に好きな作家やアーティスト、アイドルが同じだという人に出会えたなら、まずは壁を作って拒否するのではなく仲良くしようと試みたほうが楽しいのではないだろうか。私の好きな人を好きなんて言わないでほしい、私の好きな人と絡まないでほしい。確かにそういう気持ちはある。だが、その程度の不快感で誰かをはなからシャットアウトするなんて馬鹿げている。それが仮に間違った連帯感でも、不健全で不安定な関係性でも、同じ時代に生きていることをまずは楽しみたい。人生はあまりに短い。私はそう考えている。好きな人の好きな人ってだけで嫌いなんて勿体ない。

 最後に、ばりばり同担拒否ですが……という方へ。同担拒否を悪く言ってごめんなさい。私個人のお気持ちなので押し付ける気はまったくありません、というか同担を歓迎できる程度の生半可な愛でしか推せていなくてごめんなさい。

 もっと文章が書きたい、そう思っているのに、本当に大切にしたい思いはインターネットの海に垂れ流すなんて粗末な扱い方はしたくない。だからずっとよく分からない文章を書き連ねています。

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