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「心理学や教育学の理論など知らずとも、一般に、教育や学習に関しては、誰もが雄弁である。」

そんな一節から始まる本を、先日、久しぶりに読み返してみた。その本の名前は、『企業内人材育成入門』(中原淳・編著)。出版されたのが2006年だから、まさにちょうど、大学を卒業し、企業内人材育成を仕事としてスタートさせるタイミング。その当時、この本を大いに参考にさせてもらったことを覚えている。

冒頭の一節の後には、さらにこう続く。

「教育や学習を語る言説空間は万人に開かれており、誰もが“私の教育論”をつくり出せる。」

中原先生は、この“私の教育論”に対する危うさを語り、今こそ、理論の知見をエビデンスとして活用し、安定した人材育成プロセスを保証すべきだと述べていた。それから10数年。この“私の教育論”という言葉は、ずっと自分自身の頭の片隅に置かれている。

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でも、頭の片隅に置かれているからといって、お恥ずかしい限り、なかなか実践に理論が追いつかない…(たぶん、どちらかというと苦手。積ん読が増える増える増える…)

それでも幸せなことに、僕の周りには理論という言葉を巧みに操り、いま目の前で起こっている事象に色をつけてくれる人がたくさんいた。そんな人たちから必死に言葉を盗み、それによって、自分自身の実践に厚みをつけることもできた。

先週、そんな数々の理論に基づく言葉を共有してくれる大切な友人の一人、原子力災害伝承館の研究員でもある あおちゃんと、久しぶりにオンラインでの学びの場を共にした。福島県で年に一回実施される、福島県教委主催の教育フォーラム。そのフォーラムのアドバイザーとして、実践事例にコメントをする役割。

あおちゃん、そして、福島の先生方と場を共にすることだけで、すでに個人的にはとてもエモい場でしたが、笑、語られる実践事例がどれも本当に素晴らしくて、むしろこちらがたくさん学ばさせてもらう時間にもなりました。(地域協働、義務教育学校、新しい定時制の形、どれもこれも本当に刺激的でした)

また“私の教育論”という言葉が頭をよぎりながらも、その素晴らしさを、自分自身が見聞きしてきた経験から語り直し、少しは新たな価値定義もできたかな、とも。でもやはり理論は弱い。もっと勉強しないと。

改めて、具体的な実践でしか、目の前の現実を変えていくことはできないと思った。けれど、その実践に言葉を載せる人がいて、さらにその取組は強化され、加速する。そしてその言葉は、また新たな実践へのヒントに移り変わっていく。

理論と実践の往還。それは言うほど簡単なことではなく、互いの立場がとことん磨かれてこそ、その価値を発揮する。“私の教育論”だって、きっとあってもいいのだと思う。その代わり、その教育論が本気であるということ。

この一点において、過去の実践を編み直した理論は、きっと更新、進化され、また新たな理論に、その様相を変えていく。そこまでいけるかな。いきたいんだよな。

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そんなことを思いながら、最近、組織開発に関する勉強会に混ぜてもらっている。この本もそうだし、さまざまな本を輪読して、みんなで理論を読み解き始めている。

年末年始も課題図書あり。知的に楽しくをモットーに、まだ見ぬ誰かのために、まだまだ頑張って学ぶぞ。

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