前ばかり見ていた1年には、気づけばたくさんの支えがあった。
先日、会社の昨年度を振り返る会の中で、「年間MVP」の一人として選んでいただきました。
以降、この1週間は各方面からお祝いの言葉をかけていただき、豊かさをひしひしと感じながら過ごしています。
「受賞に値する成果を上げた」なんてこれっぽっちも思えていなかったけど、「頑張り抜けた自分」のことは少し褒めてあげたいな、と。
この記事では、そんな自身の振り返りと、お祝いのお礼を書き残したいと思います。
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始まりは「何も持たない自分」
思えば昨年度が始まる頃、こんなnoteを書いていました。
どうせ長い時間かかわるのなら、仕事を通して充実させられたら幸せだろうな、と考えています。
あわせて、高校時代に部活を辞めてしまったことで、「途中で辞めてしまうことで失うもの」を知られたことは、大きな経験だったと感じています。
きっと、この二つの考え方・経験が今の自分の大きな根幹を成しているから、一生懸命やること、それをやり続けることは、仕事に取り組むにあたっての基本姿勢なのだと思います。
自分は天才でもなければ、特別頭がキレるわけでもないので、ただコツコツと毎日やるべきことを繰り返して、少しずつでも成長するしかないと思っていました。
1年の始まりに、そんな意気込みを綴っていました。
ところが案の定、いざ始まってみるとその過程は綺麗なものではなかったと思います。
「悔しい」と感じることだらけで、
だから見返してやりたいとまた頑張ったり、
「届かない」と思うことだらけで、
だからもっと伸びてやろうとまた燃えたり。
飲んだくれて絶不調な日もたくさんありました。
それでも続けてきた日々がこうして実を結んだことは、自信にはなりました。
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「喜んでくれる人の存在」こそ誇り
そのコツコツ続けてきた毎日が報われることは、もちろん嬉しかったです。
ただ、語弊を恐れず言うと、誇れるほどの成果を出せたとは思っていないし、表彰してもらったこと自体が自慢できるかと言ったら、本心からそうは思えないです。
その悔しさや失敗が「成長過程」だと言われたらそれまでなのですが、これらが上手くいっていたら、もっと大きな成果を上げられたのかもしれない、なんて思ったりもします。「捕らぬ狸の皮算用」ですかね。
だけど、それ以上に驚きであり、誇りに思えたことは、たくさんの人たちが自分のことのように(いや、それ以上に)喜んでくれたことでした。
信じられない量のメッセージをいただき、その一つ一つが濃い内容でした。本当に嬉しかった。今もたまに見返してしまっていることはここだけの話にしておきます。
ただ淡々とやるべきことをやり続けていた姿勢を誰かが見てくれていたり、そのことを伝えてくれたりすることで、また頑張ろうと感じられました。
今度は心から誇れる成果をもってお返ししたいです。
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今度は「誰か」のために
誰かが自分のことを、自分のこと以上に喜んでくれる。
繰り返しですが、この感情は言葉にし難い喜びでした。
であれば、その感情を今度はプレゼントできる人になりたい。
誰かの成功に向けて、自分がお手伝いできる人になることができたら、人としてもっと大きくなれるのではないかと考えています。
自分に何ができるかは、まだ定まっていないけれど、自分自身の成果はこれからも高めていきつつ、その過程で得られた考え方や、仕事へのスタンスみたいなものは、伝えていくことができるかもしれません。
これまで思いっきり自分向きに振り切っていたベクトルを、今度は誰かのために向けていくことが、次に自分が歩みたい道だと考えています。
自己中な自分にとっては、なかなかに大きな挑戦ですが、ゆっくりと進めたらと思います。
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「あなた」がいること
かつて仕事でもがいていた時、支えてくれたのはやっぱり「周りの人」でした。どんなに綺麗事だと思われたとしても、自分が生きる上でその感覚は忘れてはならないものだと考えています。
ここからは簡単ではありますが、関わってくれている人にお礼を記載しますので、よかったら読んでいかれてください。
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これからもやることは変わりません。しかるべき目標に対して、何ができるか考えて、それに向かってコツコツと。
それと同時に、「自分」だけじゃなく「誰か」に向けた視点を持てるようになれたら、また違った喜びが得られるんじゃないかと思いながら、今年度も頑張っていきます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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