見出し画像

人づきあいの「振れ幅」

3連休の2日目、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
この連休はしっぽりと時間を作られたので、
人づきあいについて書いてみたいと思います。

どれも私なのだけれど

こんな経験はないでしょうか?

***

家族といる時の私、職場での私、
恋人といる時の私、友人といる時の私、
友人といっても、大学時代と高校時代でもちょっと違う…。
それでも、どれも私。

そして、ふとした時に立ち返る。
「本当の私はどこにいるのだろう?」

***

私自身、俗にいう「大学デビュー」みたいな
極端な心変わりはしたことがないですが、
確かにちょっとずつ「私」が異なる自覚があります。

SNSの浸透や、コロナ禍によって寸断された"内"と"外"。
こんな時代背景も、さまざまな人格を作り出しやすく
しているのではないかな、と感じています。

「分人」という考え方

2012年、今よりもずっと前に、平野啓一郎さんが
「分人」という考え方を提唱されています。

粗い要約で恐縮ですが、
このような考え方だと認識しています。

「個人」は英語で言うとindividual(in-dividual)。語源を辿ると、
それ以上「分けることができ(=-dividual)ない(in-)」ものだ
という意味になります。

しかしそうなると、先述の「異なる『私』の側面を持っている状態」は、
果たして「個人」と言えるのでしょうか。
そのどれもが私なのであれば、
「個人」よりも細かく分けられるのではないか。

この分けられた単位を「分人」と呼んでいます。
また、その「構成比率」こそが「自分らしさ」なのではないか
と考えられています。

とても真面目な話、
たとえば将来自分がやりたいこととか、
そのためにどんな勉強しているかとか。

一方でやんちゃな話。
たとえば電車の隣の人超可愛い。
昨日もまた酔い潰れちまったよ、ははは。
みたいな。

これらは話せる相手が異なる自覚もあるので、
「分人」という考え方は納得感があったし、
この考え方を人に伝えたことで、共感してもらうことが
とても多かったです。

※ちなみに、様々な人にリンクにある本を紹介しましたが、
 とても多くの反響をいただきました。

「分人」の先に感じること

「分人」という考え方を持って過ごすことは
私の中にあった違和感を解いてくれたし、
「分人」を持つことで保つことができるものにも気づきました。

ただ、私自身も30歳になり(年齢が関係するのかわかりませんが)、
人と会う機会や、自分と向き合う時間を
改めて大切にしようと考えることが増えてきました。

その中で、一種のもどかしさというのでしょうか。
芽生えてきた感情があります。

***

別に嘘をついているわけでもなく、
本音で話していないわけでもない。
だけど私の「ある側面」しか見せられていない…。

***

みなさんはどうでしょう。
人づきあいの中で、不完全燃焼な時間を
感じることはありませんか。

「振れ幅」を見せられる人に

最近、このもどかしさから抜け出すヒントに
なるのではないかと考えていることがあります。

2020年に、「言葉の企画」という講座を受けていました。

講師の阿部広太郎さんがその最終講義の中で、
「振り子」を例に「自分らしさ」を見つける過程を
伝えてくださりました。

左右に振れることで、自分の「芯」が見えてくる。
大きく振れれば振れるほど、色濃く「芯」が見えてくる。

教えていただいたのは1年以上も前の話ですが、
最近、この話から着想を得られた気がしています。

左に振れても、右に振れても私は私である。
この「振れ幅」を見せられる人づきあいをできたら、
いつ、誰といても、
ありのままの自分でいられるのではないか、と。

すごく不思議な感覚になることがあります。
何時間語り合っても話題が尽きないで、
あっという間に時間が過ぎていたり、
それなのにまだ話し足りない気持ちになったり。

そんな時、確かに「振れ幅」を見せられている感覚があります。
自分の「芯」を伝えられることや、
相手の「芯」を伝えてもらうこと、
そして、それを受け入れ合う関係が、
とても尊いものだな、と改めて考えています。

これからも「向き合うこと」を大切にしたいから

一人一人と向き合う時間がとても大切です。
一回一回の時間を濃くしたいと考えています。

「振れ幅」を見せられる勇気、
それを許容される時間や関係、
これらをより一層大切にできたらな、と思っている次第です。


あとがき

もしも人づきあいの中で、もどかしさを感じられている方が
いらしたら、何かの参考になれば幸いです。

これからも折にふれて、日常感じていることについて
言葉にしていけたらな、と考えていますので、
引き続きよろしくお願いします。

それでは、良い休日を(^ ^)

.

日々感じたこと、ほんの少しでも誰かのためになることを なるべくやわらかい言葉で伝えていけたらと思います。 これからもどうぞよろしくお願いします。