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何も持たない僕だから、何者かになりたくて

3月31日→4月1日。
社会人生活も7年目になった。私がどのような仕事をしているのかは、私なりになんとなく理解しているつもりだ。
最近ではプライベートで人の価値観を伺って記事にさせてもらったり、会社の後輩と喋ることも多くなったり、就活生の相談に乗らせてもらったり、そういう時間が多くなった。

そんな時、ふと「私は何をしたいのか、どんな人になりたいのか」を考える。いつもはふわふわとした考えで止まってしまうのだけど、年度が変わる節目のタイミングでちゃんと書きとめておきたいと思う。書く先に人は進めるし、書かないとどこかで立ち止まってしまう気がして。


0.日本社会を明るくしたい

のっけから壮大なことを言ってしまっているけれど、私のやりたいことは、突き詰めるとこの1点なのかな、と思う。

私が指している「社会」は「人間一人一人の集合体」だ。一人一人が楽しく活力を持って働くことができれば、その組織が活力を持つだろうし、ひいては社会全体がいい方向に向かうのではないかと考えている。

その手段はさまざまだけれど、今までの私の原体験で考えると「働くことを楽しめる人が増えたらいい」という想いが強い。そして、「そもそもどうしたら楽しんで働くことができるのかを考えられる人が増えたらいい」とも思う。


1.私にとっての「働く」の位置付け

※外務省HPより

人間の寿命は延びていて、「人生100年時代」と言われるようになって久しく、とりわけ日本はどの国よりもその現象が進んでいる。他方、日本は人口が減少するフェーズに差し掛かっているし、労働力の確保が重要な課題になっている。こうした背景から、私たちが働く時間は従来よりも長くなると思う。

働くことが人生の全てではないけれど、生きる時間の大きな部分を占めるだろうし、どうせならその時間を充実させたいと考え始めたのが社会に出て4年目、26歳の時だった。


「日本」とか「社会」とか、ちょっとスケールの大きな話をしてしまったけれど、私自身がもともと大学時代に塾講師のアルバイト経験をしていた際に、働くことを通して誰かに何かを提供できることに価値を感じていたし、幸せな時間を過ごしている実感があった。「きっと働くことが好きなんだ」と感じているし、価値観を押し付けるつもりはないけれど、人間は元来、「誰かのためになること」や「その経験を通しての自分の成長」を幸せに思う生き物なのだと思っている。


2.埋もれてしまうのではないか

ここからしばらくは私自身の話になるが、私自身、先述のような想いを持って就職活動をしていたわけではない。就職活動をする際には、なんとなく金融機関を志望して業界順位の高いところから受けていった結果、内定を出していただいたのが1社目の会社だった。1社目には3年半在籍していたけれど、後悔はしていないし、たくさんの仲間や、よくしてくださる上司や先輩もできた。今も私を形成するものとして貴重な時間だったと捉えている。

一方で、入社した後に先述の「働くことが好き」という想いはどんどん小さくなっていったように感じていた。

もちろん金融商品は大切なものだと今でも思うし、それを広めることに価値も感じられていた。ただ当時、業務を進める中で、次第に目先の数字を追うこと自体が目的となってしまっていた。課された目標数字を達成するために何ができるのかを考えることに終始して、本質的な価値を見失っていたのかもしれない。そのような状態になってしまったことに対して、会社を責めるわけではなく、私自身の視座が低かったのだと思う。課された目標に対して「本当にお客様のためになるのか」、「本当にこの仕事を通じて、自分は成長できるのか」という疑念が渦巻いていったことを覚えている。

あぁそうか、働くことが好きなわけじゃないんだ。自分が納得感を持って働くことができている時に、幸せを感じるんだ-。

どのタイミングで感じたのかは定かではないけれど、徐々に私の中でこうした心の声が大きくなっていった。


振り返れば、そもそもの就職活動時に、私自身の価値観は何だったのかが曖昧だった。それだけでない、なんとなく偏差値の高い大学を受けて、なんとなく大手企業を受けて、なんとなく安定した生活を享受して、それでいいと思っていた。そのような考え方だから、私自身の芯となる軸が欠如していたし、誰かが敷いてくれた価値基準の中で生きることしかしていなかったように思う。「誰かがこうするから自分もこうする」「きっとこっちが正解なんだろう」、そのような予定調和な判断をしている私自身に嫌気がさし始めたのがこの頃だったように思う。

※もちろん誰かの価値基準には安心があることも理解しているし、そこに沿うことを大切にする人を否定したいわけではないです

その頃、私の同年代のSNSや様々な記事を見渡すと「やりがいを持って働くことに前向きな人」はごく少数だった。もしかすると、いつしか「社会に出ること」が「働かされること」と同義となってしまっているのではないか、と考え始めた。また、私のようになんとなく就職活動を始めて、なんとなく社会に出て、「働くってこういうもんだ」と、そもそも仕事に納得感を見出さない人たち(半ば割り切っている人たち)もたくさんいるのではないか、とも感じていた。


3.枠の内から飛び出した

そのような中ではあったけれど、社会人3年目に新卒採用担当をさせていただいた。改めて金融商品を販売することの意義を考え直したり、自社に合う学生はどのような人なのかを考えたりすることはとてもやりがいを感じていたし、「目先の数字を追うこと」が目的になってしまっていた自分の価値観も少しずつ是正されていった。もう一度「働くは楽しい」という考えを呼び起こされたような気がしていた。

結果として新卒採用担当には1年しか携わっていないけれど、そこでの経験が今のキャリアに大きく影響を与えている。会社説明会で学生の前で話すときは、その意義や会社の文化について納得感を持って伝えることができていたし、年間で数百人の学生と面接することも得難い経験だったと思う。

この経験を通して感じていたこと。それはやはり、「社会に出るにあたって、自分自身の判断軸を持つ人が少ない」ということだった。ただ、それは学生だけの問題ではなく、企業がその会社で歩めるキャリアや大切にしている価値観を見せきれていないことも課題であり、採用の場において学生に判断の軸を提示していくことも必要だと感じた。


「働くことを楽しめる人が増えたらいい」
「自分が歩むキャリアに期待を持てる人が増えたらいい」
「自分の判断軸を持った人が増えたらいい」

これらが私にとって、働く上で実現したい軸になっていった。


学生一人一人と向き合って各人の判断軸を形成していくことも一つの手段だと思うけれど、私は自身の経験から、企業の採用のあり方を変えていくことが、社会に大きな影響を与えられるのではないかと考えた。

「一企業の採用担当者」ではどうあがいても変えられるものが少ない、もっと社会全体に何かできないか、と考えていた時に出会ったものが現在担っている「採用コンサルタント」という職種だった。

この時、人生において初めて自分の判断軸で大きな決断をしたと思う。だからこそ「この道で生きていくんだ」という覚悟のようなものも備わったし、日々の業務にポジティブな意味づけができるようになったと感じている。私自身が「自らの判断軸で何かを決断することが、自分自身を豊かにしていくことにつながる」ということを体感した。


ここまでは私の働くことへの価値観の話、まとめるとこうだ。

日本では「労働=苦しいもの」と捉える風潮があるのではないかという課題感を持っていて、そもそも自分の価値観や判断軸を持っている人が少ない、ないしは押し殺してしまう人が多いのではないか。
一方で、自分自身の判断軸で何かを決めると納得感があるし、活力を持っていられると思う。それは「働く」ことにも言えると思うし、きっと活力ある人が集えば活力ある組織が成り立ち、ひいては社会全体の活力向上にも繋がっていくと思う。そのような社会を作る一助を担いたい。


4.何者かになりたくて

そうはいっても、覚悟を保っていくことは難しい。最後に少し、何がその覚悟を掻き立てているのかという話を。

私自身、昨年はオンライン講座に自発的に通い、その学びを還元するために、社内報を発信することも発案させていただいた。そのような事実から、一般的に周りの人から「頑張っている人」に見られることがあるのだろう。けれど、「そのモチベーションが何か?」と言われても、最近まで全然答えられなかった。

改めて考えると、焦りが原動力なのではないかと感じている。

私自身高校時代にサッカー部を辞めてしまい、それにもかかわらず、大学受験で浪人をして、歯車がうまくいかない時期があった。その傍らで、部活も受験もやり抜いていく人たちがいて。「結局自分には何が残っているのだろうか」という劣等感を抱くことが多かった。

それは社会に出てからも同じで、「ジョブローテーション」という言葉にかこつけて、何一つ専門性を持たずに「大抵のことを6~8割できる」みたいな人になっていってしまうことに、違和感を覚えているのだと思う。


「どうせやるなら突き抜けたい」
「プロとして語れる分野を持ちたい」
「そうなれるような武器を携えたい」

これが「働く」をやり抜こうとする覚悟を支えている。


社会に出て7年目。まだ何も成し遂げていないし、プロとして語られるほどのスキルもなければ、社会に影響を与えた経験もない。だからこそ突き抜けるための努力を、今年度もしていきたいと思う。

日々感じたこと、ほんの少しでも誰かのためになることを なるべくやわらかい言葉で伝えていけたらと思います。 これからもどうぞよろしくお願いします。