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サシで話したい!最強はいつも二人。

ああ、また最高の時間を過ごしてしまった。
帰り道に小躍りなんかしたくなる夜。

なにゆえ私はいま、こんなにも上機嫌なのか。
何が私を、こんな無敵モードにしてしまったのか。

言葉にすればなんてことはない。
ただ友人とのご飯会が楽しかったという、それだけのことだ。

お察しの通り、いただいたご飯が、即ちシェフが腕を振るって仕立てたパスタが美味しかったのだと言いたいのではない。
まして、お酒が美味しかったとか、ほろ酔いで浮かれているだとかでもない。そもそもお酒は一滴も飲んでいない。(先ほど飲み会と言わずご飯会と言ったのはこのため。)

ジ アンサー イズ ハナシ

話が楽しかったのだ。

なんだそんなことかよ。そう思われる気持ちはわかる。
だから先ほど、言葉にすればなんてことはないと言ったのだ。

だが、単に楽しい話と、その上の「わたしたち、最強じゃない?」に至る楽しさクライマックスな話とは、満足度が遥かに異なる。

◇◇◇

これからこんなことをやりたいのだ!

と私が言う。
すると相手は、

面白い。ではこんなこともできるんじゃない?

と言う。
それに対して私は、

なるほど名案だ。わたしたちなら絶対面白くなるね。

と返す。

共感とクリエイティビティと、その前提にある相手への信頼と。
適切な加減で調和する二つの脳内の温度。
無論、適切な温度と言いつつも、サーグラフィーを通してこの二つの宇宙を覗いてしまえば、きっと真っ赤に映し出されることだろう。

わたしたちの共感は興奮に変わり、やがて「わたしたち、最強じゃない?」に達する。

互いの思想が重なり合いより大きなアイデアとなるとき、このような高揚感を味わったという経験をしたことがある方は、少なくないのではないだろうか。

◇◇◇

先日、ラランドのサーヤさんと令和ロマンのくるまさんが二人で飲んで語るというなかなかに長尺の動画を拝見した。

▼動画はこちら


この動画内でくるまさんが発していた言葉がとても印象深い。

"
やっぱりお前とバスタでネタ合わせした時が一番楽しかった。

(中略)

出来立てのバスタで、いろんな地方にいろんな人が帰っていくじゃん。

うわーって人並みの中で、本当にリアルに時が止まってる感じというか。

世の中の流れってあるじゃん。
帰省とか、それぞれの生活感のある動きをしてる中で、俺たちは今椎名林檎とかの話をしてて、ただライブのためだけの話をしてて、
なんて贅沢なんだろうって。

無敵感があったというか。

そんなことしていいんだぜっていう、あの無敵感はあったな。
"

動画内でのくるまさんのご発言


学生時代からお笑いの道で切磋琢磨してきたお二人。
いま結果を出して輝いている二人がまだ学生だった頃。
バスタ新宿という空間の雑踏の中でたった二人、ひたすら大好きなお笑いの話をしているという時間の贅沢さを思うと、確かに"無敵感"という言葉がしっくりくる。

私がサシで誰かと話していて感じる"最強感"はくるまさんの言葉ですごく腑に落ちた。
もちろん今を輝くお二人の感じた"無敵感"と同等の感覚を味わっているだなんて口が裂けても言えない。
だが確かに同じ性質の感覚ではあると思うのだ。

◇◇◇

そして、私が思うにこの"最強感"あるいはくるまさんの言葉をお借りするなら"無敵感"に到達する時は、なるほど確かにシチュエーションが重要なようである。

旅行客は旅のことで頭がいっぱいだ。
そんな中に紛れて二人、ネタ合わせをしているだなんて、たしかに最高のシチュエーションだ。

だがこれに加えて、"サシである"ということも条件の1つになっている気がするのだ。

先に述べた温度感が適切に交わる瞬間というのは、おそらく三人以上の人間がいるとなかなか果たし得ないことだと思うからだ。確率的に。

純粋にトークをしようという時、三人以上その場にいると安心感がある。
仮に自分からなにも言葉が出てこなくても、残りの二人が話を続けることができるという安心感だ。マイクを持ち続けるのはやはり疲れる。

だがそのリスクを背負いサシで話す時でしか、"最強感"には辿り着かないとわたしは思っている。
ダサいかもしれないが、同じ時間を過ごすならやっぱり楽しい方が、面白い方がいい。
だから、勇気を出してサシで話そうではないか。

では、また。

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