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”売れている or 売れていない”の基準はどこにあるのか

こんばんは、ごきげんよう。

本日は夜の投稿です、
YUKI《通称:おゆき)です。

先日、
好きな怪談チャンネルで
怪談を語る芸人さん同士が
コラボ動画をあげていました。

基本的に私はコメント欄を
しっかり読む人間ではないのですが
最近のYouTubeはコメントが
定期的にランダムに表示されるので
ちらっと見ることが増えた気がします。

そこで目に止まったコメントの内容が、

売れていない芸人同士が
フォローしあっているのは滑稽だ

といったようなものだったんですね。

幼稚なdisるコメントなんてものは
一定数存在するのが
ネットの世界なので
ある意味では大したことではなく
取るに足らないものだとは思うのですが。

(もちろんファンからすれば
なんだとこのやろう、と
不快になる方もいらっしゃるとは思います)

個人的に気になったのは、

このコメ主のいう
「売れている」の定義とは。

というところだったんですよね。

”売れている”を判断する場の多様化

きっと、
コメントの内容から察するに
テレビに出ているかどうか、
メディアに取り上げられているかどうか、
といったところだと思うのですが。

私個人の感覚、価値観で言うと

テレビに出ている
メディアに取り上げられている
=売れている

ってちょっと概念的に古いのでは?
思ってしまった次第であります。

インターネットが普及し、
活動、発信のプラットフォームも
多様化している昨今では

もはや
テレビに出ているから売れている、
という公式には
当てはまらなく
なっているのではないでしょうか。

YouTubeのチャンネル登録数に
焦点を当てれば
数が多ければ多いほど
売れているかもしれないけれど

結局その数だって
アクティブ、非アクティブ
どちらのユーザーもいるし、

毎日動画を見る人、
たまにしか見ない人、
登録だけしてるけど
全く見ない人だっている。

さて、”売れている”とは。

そもそも”売れている”って何?

今更なんですが。

そもそも、
”売れている”ってなんでしょう?

その人が稼げている金額?

人気?需要?

誰かの喜びになっているかどうか?

いずれにしても
それって可視化しづらくないですか?

その人が稼いでいる金額なんて
その人か、
事務所くらいしか知り得ないし、
知り得たところで別に
外野がとやかく言う必要って
ないですよね。

人気・需要に関しても、
イベント開催して誰も見にこない、
ってなると
話はまた違いますが、

間違いなく彼らのイベントなどの
チケットは売れているし、
ファンもしっかりいる。

需要がなければYouTubeの
動画だって上がらないし、
メンバーシップの動きもない。

でも、あるんです、
彼らにはちゃんと。

そしてそれらが機能している限り、
誰かの喜びになっている。

稼いでている金額の視点は別として、
需要があって誰かの喜びになっていて、
それによって人気ある、
というか
好かれているということが

”売れている”ということ
なのではないでしょうか。

さいごに

”売れている”とは?と考えつつ
そんな考えをつらつらと
書き連ねてはおりますが、

単純に、
「なんでそんなこと言うんかね」と
多少なりとも
心地よくない思いをしたことに
間違いはないです(笑)

負の書き込みは見ていて
気持ちの良いものではないですね、
当然のことながら。

とはいえです。

今のご時世、
”売れている”って何?
って考えるきっかけにもなりました。

”売れている”の定義自体、
一人ひとり違うし、

”売れている”と判断できる場さえ
多様化してしまっているので
これが”売れている”である!って
言い切れない時代になりましたよね。

むしろ”売れている”って
人の活動において
死語になっていくんじゃないか、
とさえ思います。

大袈裟?笑

誰かの喜びになったり
誰かの役に立ったりして
感謝の気持ちが起こったら、
それはもう”売れている”。

(お前はもう死んでいる、的な響きw)

そんな時代に
なってきていると思います。

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