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ふつうに生きる

久しぶりにnoteを書く。最近、肩肘張って生きることが多くなった気がしている。やはりコロナの影響で妙な焦りがあるんだろう。

そんな時は、新しいことを始めてみたり、本読んだり、映画見たり、気分転換をすれば良いんだろうけど、それはそれで、よく言う「思考停止」なる感じがして、終わった後に不安感に襲われたりする。

別にここで、何かこう、鬱屈しとした感情を吐き出したい。というよりも、ただ何か書こうと思ってパソコンに向かっている。
乱文雑文でも、文字を書いていれば、それはそれで頭が整理されて良いんではないかと。

さて、じゃあ何を書こうかということで、半自動的に手が動いているから
流れに身を任せてる。

とにかく僕は「普通」じゃないことが嫌いだ。小学校の卒業文集にも将来なりたい職業に「サラリーマン」と書いたくらい。しかし、幼い頃の夢なんてのは儚く散るわけで、いま諸事業を機に起業なんて不安定なことをしてしまったのでサラリーもなくなった。

そんな起業なんてものをやってみると「普通ってなんだよ」とか、「普通が分からない」みたいなことを言う人が周りに結構いる。ただ、これを言う多くの人が、一般論に寄り添えない自称病人の厄介者ではなくて、寄り添わないスタンスを貫こうとしている人が大半だ。

ルールを逸脱することや、スレスレにやることで、自分がやりたいようにやっている感覚に陥ってしまうのか、僕のようなルール遵守派からすると生活の中で非常に違和感がある。そして、多くは相手からどう見られるかというよりも、相手にどう見せたいかっていう方が強いように感じる。

俺はこうだ!こんな人間なんだ!
だからお前らの物差しで測るなよ!

というニュアンス。あくまで主観だし、心理学を勉強しているわけでもないけど、少なくとも僕はそう思っているだけだ。

そんな方々に何を言いたいかというと、もうちょっとだけ、相手の気持ちになって考えてほしい。「直して欲しい」なんて大層なことも考えていない。
たまに不遜な態度も取るくらいで終わるんだから省エネだ。

こんなこと言っても、明日もあさっても我々のような「普通」の人間は抑圧されて生きていくんだろう。

駄文だ。
(だっふんだみたい)


























適当にやっておりますが よろしくお願いします