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キングと私

99年12月22日。

家に帰るとお客さんがいた。それはとても大きな目をしていて、私よりもずっと小さい。歩くたびに「チャッチャ、チャッチャ」と音がなり、母の周りをぐるぐると歩き回っていた。小学1年生の私は、とても驚いたが、同様にわくわくしたことを覚えている。

母はそのお客さんを「キング」と呼んでいた。どうやらお客さんではなく、私の新しい家族になるようだ。キングはテリア犬で、当時は生まれたばかりだった。この日は、私の誕生日で、共働きで帰りの遅い両親が、私が寂しくならないようにキングを新しい家族として迎え入れてくれたのだ。本当に嬉しかったことは、今でも鮮明に覚えている。

キングはとても頭がよく、ご飯もしっかり待てるし、トイレの場所だってわかってた。一番驚いたことは、私が赤信号を渡ろうとしてしまった時に、リードを引っ張って動かなかった時だった。また、少し背伸びをして隣町まで散歩に行って、迷子になって泣いている時も、手をなめて励ましてくれた。本当に家族だったし、意思もつながっている様だった。

ただ、そんな仲でも時にはケンカをすることもあるー

ある日のこと、家でいつものようにキングとじゃれている時、突然手を噛まれた。今、振り返るとじゃれて噛んできたのかもしれないが、当時はとても痛くて、私は泣きながら、キングをベランダに追い出した。「キングなんか嫌い!」と叫びながら。その後、晩御飯を食べている間も、キングはベランダでずっと泣いていた。両親の「そろそろ家に入れてあげない?」という声にも、全く耳を貸さなかった。私は、しばらくの間、キングを許せずにいた。キングはいつも通り、私のもとに駆け寄ってくるが、私は学校の友達と遊びに行ったりして、相手にしなかった。内心はどこか後ろめたい気持ちもあったが、子供の私は素直になれなかった。

1ヵ月余りが過ぎようた時、両親から「キングが最初に家に来た時のこと、覚えてる?」と聞かれたー

初めてあった時から、キングは私が一人で寂しくないように、ずっとそばにいてくれた。学校から家に帰ると必ず全速力で私のところまで駆け寄ってきてくれたし、公園でボール遊びをする時も、暗くなるまで付き合ってくれた。私も本当はキングのことが、大好きだった。

また仲良く遊びたいと思った私は、キングに「ごめんね。」と謝った。一方のキングは全然気にせず、散歩のリードを私の足元まで運んできた。向こうはずっと心を開いていたのに、扉を閉じていたのは私の方だったんだなと強く思った。両親も私とキングの仲直りはとても嬉しかったようで、誕生日かと思うくらいご飯が豪華だった。その日、私とキングは晩御飯の後、公園でサッカーをした。とっても楽しかったし、ケンカしていた時間は、なんて無駄だったんだと思った。

これから、また元通り仲よく遊べると思ったー

思いっきり遊んだあと、公園を出て家まで向かった。家から公園までは5分もなく、私達にとって何度も通った道だった。

突然キングが全速力で走り始めた。リードを持つ手を振り払って。私も必死に走ったが、追いつけなかった。大通りに出ると、車道を走り回るキングの姿があった。車の交通量が多くて、近くまで辿り着けない。私は大きな声を出して、車に停まるように叫んだが、その声も届かず。3台目の車両が通った時、バンッ!!という音がした。急いで、家族と病院に連れて行ったがキングを助けることが出来なかった。

私は、とても辛くて辛くて仕方なかった。両親の「キングは最後までゆうきを守ってくれたね。」と泣きながら言っていたことは、20年近くたった今も覚えている。当時は、数日泣き続けていたし、学校にも行けなかった。

私はそこで、当たり前の時間なんてないんだということをキングに教えてもらった。家族も親戚も友達も恋人も、いつかは別れがくることを知り、何もしていな時間が大切な時間であることを知った。キングと喧嘩をしていた時間は、本当に後悔の時間であり、素直で生きることは何より大切だと気付かされた。

キングは最後まで頭のいい、私達の大事な家族でした。

最近のニュースでは、SNSの誹謗中傷や我が子を殺めてしまうような悲しい報道をよく目にする。そんな日本が少しでも変わることを願って、このnoteを書き綴りました。素直に相手を思いやることが出来る世界が訪れる事を願っています。




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