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別れを告げたことを、一度でも後悔したことがあったらさ

関係がうまくいってないことはわかっているものの、嫌いになったわけではない

人として大切に思っている

この先も一緒にいられる自信はないけど、別れを切り出すこともできない

という恋人関係の相談に対して

「一度冷めた気持ちは戻らないし、さっさと別れよう」
「それはただの情だから、早く次にいこう」

という言葉をかける人は、少なくないよなぁと思う。


実際にその言葉を聞いて踏ん切りがつく人もいるだろうし、背中を押されて別れた結果が正解だったという答えを持っている人もいるだろう。

だからこの言葉が間違っているかどうか、なんて測ることはできないし、測りたいわけでもなくて。

ただ、「別れを告げたことを、一度でも後悔した経験があると、なかなか言えなくなる言葉だなぁ」と思う。

私が、言えなくなってしまったから、そう思う。


当たり前のことだけれど、別れはつらい。
本当に、つらい。

別れた直後に、別れたという実感は湧いたりしない。

例えば、朝起きてスマホを開いた時に、
もう「おはよう」って送れないんだと気づく瞬間
相手が喜ぶものを見つけて思わず写真を撮っても、
もう教えられないんだと気づく瞬間
思い出の曲が聴こえてくると、涙が滲む瞬間
相手の家の最寄り駅を通過するのが、苦しくなる瞬間


日常のなかに散りばめられている、一つひとつの「別れたから」という事実に触れるたびに、別れはリアルになっていく。

一緒に行った場所、聴いた曲、観た映画

ただ幸福だった思い出の数だけ、刃となって胸にグサグサ突き刺さる日々に変わってしまう。一緒にいた時間が長ければ長いほど、毎日刺さるその刃の数が途方もなくなる。

そうやって、傷を増やしながら別れを受け入れていく日々がどれだけ痛くて、苦しいものかを知っている。

それが辛すぎるから、「早く新しい恋愛をしよう」と思う気持ちも痛いほどわかるし、友達が次の恋愛へ誘う思いもよくわかる。

でも新しい恋愛が始まると、自分のなかに染みこんでいる「元恋人の愛し方」が余計にくっきりと浮かび上がってきたりもするもので。


自分の隣にいる人のテンポや空気、会話の内容、リアクション、声、仕草、違和感や新鮮さを抱くたびに「誰に慣れていたのか」を、嫌でも気付かされたりもする。

きちんと傷が癒えていないうちに、新しい人のそばにいったりすると、刺青を焼き消すみたいな痛みに、余計辛くなることもある。


別れたことが、2人にとって最善だったのか
それがわかるのは、別れた日よりもずっと後だろう。

「良かった〜!」と思うこともあれば、「やっぱり…」と俯くこともあって、そういう繰り返しの結果「やっぱり別れて良かった」を見つけられるかどうかは、相手次第であり、自分次第だ。

想像より早い場合もあるし、ずっと遅いこともある。



別れても、ちゃんと幸せになれるよ。大丈夫。


そう思う。

「早く別れたほうがいいよ」

とは、思わない。


別れたら、もう二度と取り戻せないものがある。
別れを通して、相手に与えられるものなんて、ないと思ったほうがいい。

自分が隣からいなくなることで与えられる、気づかせられる何かを期待するくらいなら、そばにいて与える努力をしたほうがいい。

そこにあるのが、恋愛感情ではなくても。自分の求めているものではなくても。
誰かの言葉ではなく、自分自身で「もうここまでだ」と明確に思うまでは、とことん、そばにいたらいい。

例えその日々が苦しくてもさ、いつか、思い出したくても思い出せなくなるくらい、薄れて、消えていってしまうから。

「どうしても無理だった」という自分への納得を持って別れたという事実の方が、きっと濃く残ると思うし、救いと学びになるんじゃないかな。
私はそう思う。


スパッと別れを決め切れる人のほうが潔いし、かっこいいし、私も憧れるけれど。

「別れたほうがいいと思うけど、言えない」

こんな言葉をつくる感情や思い出は、
第三者には知り得ない、2人の恋愛の根幹みたいなものだから。


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