「愛してる」なんかじゃ足りない、愛の言葉
今から4年前、「『好き』という言葉以外での好きを教えてよ」という記事をTABI LABOで書いていた。
読者の皆さんからはいろんな回答が編集部に届いて、それを一つひとつ読みながら、みんなの見ている世界を少し、分けてもらったように感じていた。
2文字だけではとても伝えきれない「好き」の構成に、ひとつとして同じものはなくて。「好き」に集約された心のぜんぶに、違う体温と息遣いが、ぎゅうぎゅう閉じ込められている。
上の記事内でも紹介しているのだけど、『僕らがいた』という漫画の中では、主人公の矢野と七美がこんな会話をしていた。
指を、折ってください。
この言葉が、愛を誓う言葉として生まれたことを、誰が汲み取れるだろうか。私が思うに、『僕らがいた』という漫画に閉じ込められている感情には、いつも血が通っていて、どこまでも生々しく、本物だった。
七美は作者や読者に人格を形成された“キャラクター”ではなく、独立したひとりの人間として物語を生きていて、台詞として可視化される言葉の全ては、一貫して、彼女が経験をして考えて感じて、選んだものだった。
この言葉の真意が、私にはわからない。
他者に伝わるように、選ばれた言葉ではない。
漫画的に、読者の共感を生むために生まれた言葉でもないだろう。
ここにあるのは、彼女の中に存在している本物の心なのだと思う。
本来、誰とも同じように分かち合うことなどできない。
あなたの中にある愛も、私の中にある愛も。
ぜんぶ違う「好き」で、ぜんぶ違う「愛してる」だ。
力を振り絞って自分の中にある想いをぜんぶ、本気をぜんぶ、渡したいと思うとき、それは本当に「愛してる」で足りるのだろうか。
そんなことを、相も変わらず考えている。
「『愛してる』以外で愛を伝えてよ」と求められるとき、あなたはどんな言葉を口にするだろう。
誰にでも同じように伝わるような言葉では、きっとない。
悩んで言葉にできないとき、その沈黙のほうがずっと、「愛してる」よりも愛を表しているのかもしれない。
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